岡山県倉敷市にある下津井城。
文禄年間(1592~1596年)に宇喜多秀家が築城しました。
1603年に池田忠継が岡山藩主となり、家臣の池田長政が入城し改修を行います。
1606年に現在見られる城郭が完成し、池田氏3万2千石の居城となります。
1632年に池田由成が城代となり、1639年の一国一城令により廃城となります。
現在でも城跡には郭跡があり、二の丸の石垣、西の丸と二の丸の間の堀切、本丸の天守台などが残され見どころとなっています。
下津井城・基本情報、アクセス
所在地:〒711‐0972 岡山県倉敷市下津井
城 主:宇喜多氏、池田氏
形 式:平山城・連郭式
文化財史跡:県指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
下津井城・駐車場
下津井城の北側に「下津井城跡駐車場」があります。
50台程停められる広さの無料駐車場です。トイレは駐車場にありますがあまり綺麗ではありません。
下津井城・縄張り図
下津井城は瀬戸内海に面する丘陵に築かれています。
連郭式の平山城で、西側から西の丸、二の丸、本丸、三の丸、中の丸、東の丸が連なっています。
本丸の北側には天守台があり、天守が建てられていたと考えられています。城の北側には侍屋敷が配されていました。
下津井城・馬場跡
西の丸の北側下段には馬場跡があります。
馬場跡には東屋があり、休憩する事ができるようになっています。
下津井城・西の丸
石垣
馬場跡からは西の丸の石垣跡を見る事ができます。
石垣は上部に残されていて、周囲には石材が散乱している様子が見受けられます。
自然に崩れたというよりは破城したような印象を受けます。
郭内部
西の丸は下津井城で最も西側に位置する郭です。
西の丸は下津井城でも比較的大きな郭で、郭の西側にはL字の傾斜地となっていて土塁の跡があります。
堀切と土橋
西の丸と二の丸の間には堀切と土橋が築かれています。
堀切は幅が10m程あり、中央は堀残す事で土橋としています。
堀切と土橋は遺構が良く残されていて当時の様子を知ることができ、見どころです。
下津井城・二の丸
石垣(西側)
西の丸の東側に二の丸があり、石垣が残されています。
二の丸西側には高さ2~3m程の高さの石垣が残されていて、当時は石垣の上に櫓や土塀を建てて敵の侵入を防いでいたと思われます。
石垣(南側)
二の丸の南側にも石垣が残されています。
石垣の高さは3~4m程あり、長さ50m以上に渡り築かれていて壮観です。
二の丸南側の石垣は下津井城で最も良好に残されている遺構で、見どころです。
石垣は割石を使用した打ち込み接ぎで、横に目地を通さない乱積みとなっています。
途中には折れていて出っ張りを設けていて、横矢掛かりを意識していることが分かります。
隅部は少しだけ算木積みとなっていて、石垣積みの過渡期を見る事ができます。
下津井城・本丸
本丸内部
二の丸の一段上に本丸があります。
本丸は西の丸と同等の広さの郭で、下津井城の石碑が立てられています。
天守台
本丸の北側には天守台が残されています。
現在の天守台は盛り上がった場所で、周囲には石が見受けられます。
当時は小規模な天守が建てられていたと云われ、瀬戸内海側から見たら壮観であったと思われます。
下津井城・三の丸
二の丸の東側に三の丸があります。
三の丸も本丸と同じ位の広さとなっていて、下津井城の東側の防備を担っています。
土留めの石垣
三の丸の南側の土橋のような場所には石垣が築かれています。
石垣は高さが1mない位で自然の石を使用した野面積みとなっています。
土橋が崩れないようにするための石垣となっています。
下津井城・中の丸
掘割(堀切)
三の丸と中の丸の間には掘割(堀切)が築かれています。
掘割は深さが2~3m、幅が7~8m程となっていて良好に残されています。
東西に長い連郭式の重要な防御機構となっています。
郭内部
三の丸の東側に中の丸があります。
中の丸は東西に長い郭となっていて、更に東側には東出丸があります。
北側を見ると「ブラジリアンパーク鷺羽山ハイランド」が見えて、音楽や声が聞こえて来ます。
まとめ
【下津井城の見どころ】
・二の丸南側に築かれている長大な打ち込み接ぎの石垣
・西の丸と二の丸の間に築かれている堀切と土橋
・本丸北側に残る天守台
ウェブサイト:下津井城跡/文化財保護課/倉敷市
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