岡山県岡山市の備中高松城です。
永禄年間(1558~1570年)に備中松山城主の三村元親が石川久式に命じて築城されました。
石川久式が亡くなると、娘婿である清水宗治が城主になりました。
1582年には羽柴秀吉が備中高松城を攻めました。
清水宗治は必死に耐えますが、水攻めの奇策により降伏、自刃しました。
その後は宇喜多秀家の家臣である花房氏が城主となりますが、一国一城令により廃城となります。
現在は公園となっており石碑や塚、資料館が建てられ、当時の様子をうかがう事ができます。
備中高松城・基本情報、アクセス
所在地:〒701-1335 岡山県岡山市北区高松558-2
城 主:清水宗治
形 式:平城
文化財史跡:国指定史跡
続日本100名城スタンプ場所:高松城祉公園資料館
備中高松城・駐車場
お城の南東に高松城址公園の駐車場があります。十数台止められる無料の駐車場です。
駐車場の近くには高松城址公園資料館があり、続日本100名城のスタンプのこちらで押印できます。
高松城の水攻めの事が学べるので必見です。
資料館の営業時間が10:00~15:00までと短く、時間に注意しなくてはいけません。
【 高松城址公園資料館 】
所在地:〒701-1335 岡山県岡山市北区高松511-1
開館時間:10:00~15:00
入場料:無料
定休日:月曜日・年末年始(12月29日~1月3日)
備中高松城・二の丸
備中高松城は現在公園となっており、遺構が少ないです。
公園としてはす池があり、低湿地帯であったことがうかがえます。
二ノ丸から本丸へ向かいます。
備中高松城・本丸
橋
二ノ丸と本丸の間には橋が架かっています。
橋を渡ると本丸になります。
清水宗治・辞世の句の石碑
本丸には清水宗治の辞世の句の石碑があります。
秀吉の水攻めにも必死に耐えましたが、落城も時間の問題となり、城兵の命を助けるために、清水宗治は降伏を決断します。
城内に小舟を浮かべ、舞を一差し舞い、この辞世の句を詠んで切腹しました。
「浮き世をば、今こそ渡れ武士の、名を高松の苔に残して」
憂いに満ちたこの世を今こそ渡ろう、武士の名を高め、高松の苔のように、未来永劫名を残るように といった意味でしょうか?
浮き世と、水攻めにされて船を浮かべると掛かっていてすごいです。かっこよすぎます。
羽柴秀吉が備中高松城を攻めている際に、本能寺の変が起こり織田信長が死んだことを清水宗治が知ることが出来たら、結果は変わっていたかもしれませんね。
歴史にもしもはありませんが・・。
清水宗治の首塚
また本丸には清水宗治の首塚があります。
今現在でも花やお供え物がされていて、まさに清水宗治の名が残っていることが実感出来ます。
地元の人や歴史好きな人に愛されているのでしょうね。
また、本丸には備中高松城の水攻めの様子が書かれた説明板もありますので、思いを馳せることが出来ます。
まとめ
備中高松城は歴史のターニングポイントの場所でした。
結果としては、ここから羽柴秀吉の天下統一へ向けて邁進する事になりますが、清水宗治のような武士がいた事も忘れてはいけませんね。
備中高松城ウェブサイト
https://www.okayama-kanko.jp/spot/10102
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