愛媛県今治市にある今治城。
築城の名手として名高い藤堂高虎が関ヶ原の戦いの功により、伊予半国20万石を拝領しました。
1602年に瀬戸内海に面した砂丘地帯に築城を始め、1608年に完成しました。
1609年に藤堂高虎は伊勢国津に移封となり、今治城は養子の高吉が城主となります。
1635年に久松松平氏が3万石で城主となり、海側の郭の改修を行いました。
明治維新まで松平氏が城主となり、1869年に廃城となり建築物は取り壊されました。
現在でも石垣や内堀が残され県の指定史跡となり、本丸には天守閣や武具櫓、御金櫓、山里櫓、鉄御門などが復元され見どころとなっています。
今治城・基本情報、アクセス
所在地:〒794‐0036 愛媛県今治市通町3‐1‐3
城 主:藤堂氏、久松松平氏
形 式:平城(海城)
文化財史跡:県指定史跡
日本100名城スタンプ:今治城天守閣
今治城・駐車場
今治城の東側に「今治城第一駐車場」があります。
56台停められる広さの有料駐車場で、1時間100円となっています。
トイレや城内に駐車場にあります。
今治城・御城印
今治城 御城印 1枚300円
今治城の御城印が販売されています。
今治城天守閣の受付で1枚300円で購入する事が出来ます。
今治城・三の丸
内堀・土橋
今治城の本丸、二の丸、三の丸は内堀に囲まれています。
内堀は幅が50~70mもあり、現在でも水路により海と繋がっています。
当時は内堀、中堀、外堀と三重の堀に囲まれ、城内に港が設けられていて瀬戸内海を監視しており、日本三大水城(高松城・中津城)のひとつに数えられています。
主要部を取り囲む広大な水堀は壮観で、見どころです。
鉄御門
三の丸の入口には鉄御門があります。
当時は鉄御門と多門櫓と高麗門により桝形が形成され、最も強固な形式の虎口となっていました。
2007年に江戸時代末期の写真と文書を基に鉄御門と東多聞櫓、西多聞櫓が復元され、堂々たる姿が蘇っています。
鉄板が貼られた鉄御門と多門櫓に囲まれた桝形虎口は迫力があり、見どころです。
武具櫓
三の丸の北側に武具櫓があります。
武具櫓は鉄御門の多聞櫓と連結されていて、1980年に再建された二重櫓です。
武具櫓と鉄御門、多門櫓は連結されていて内部の見学をすることが出来ます。
石垣の上に建つ武具櫓や多門櫓は壮観で石垣麓の犬走りも良く確認できて、見どころです。
山里櫓
三の丸の西側には山里櫓があります。
山里櫓は1990年に再建された二重櫓で、内部は武具や古美術品が展示されています。
内堀越しに見ると山里櫓と山里門(櫓門)、高麗門、土塀が一緒に見る事が出来て、壮観で見どころです。
今治城・二の丸
御金櫓
二の丸の東側に御金櫓があります。
御金櫓は1985年に再建された二重櫓で、内部は郷土出身作家の美術館となっています。
二の丸の東側から本丸南側に延びる郭の稜線は3基の櫓台がある為、石垣が張り出していて御金櫓と共に見どころとなっています。
今治城・本丸
虎口
本丸の北側に本丸虎口があります。
本丸の虎口には櫓門があり、門をくぐると左に折れて石段があります。
本丸は二の丸よりも一段高い場所にあり、現在は吹揚神社が建立されています。
天守閣
現在の天守閣は本丸の北隅櫓台の上に建てられています。
藤堂高虎が建てた天守は破風を持たない層塔型と云われる形式で、望楼型天守よりも構造が単純で容易に建築が出来るという事が画期的でした。
藤堂高虎が建てた天守は1610年に丹波亀山城に移築されたと云われています。
現在の天守閣は望楼型となっていて外観が違いますが、五重六階の意匠に富んだ天守閣は今治市のシンボルとなっていて見どころです。
所在地:〒794‐0036 愛媛県今治市通町3-1-3
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
入館料:一般520円・学生260円・高校生以下無料・高齢者65歳以上420円
休館日:12月29日~12月31日
ウェブサイト:今治城|今治市文化振興課
天守閣内部は2階と3階に甲冑や刀などの武具や書状、4階が企画展示、5階が全国のお城の写真展示、6階が展望台となっています。
展望台からは鉄御門や武具櫓、多門櫓、今治港、来島海峡大橋、瀬戸内海などを一望する事が出来て、爽快です。
今治城が海城であることが分かります。
まとめ
【今治城の見どころ】
・本丸の北隅櫓跡に建てられた五重六階の天守閣
・三の丸大手筋に復元された迫力ある鉄御門と多門櫓と武具櫓
・三の丸西側に再建された山里櫓と山里門、高麗門
・二の丸東側に再建された御金櫓
・幅50~70mの広大な内堀と高さ9~13mの反りを持たない直線的な石垣
ウェブサイト:今治城|今治市文化振興課
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