愛媛県松山市の伊予松山城です。
加藤嘉明が関ヶ原の戦いの功により伊予を与えられ、1602年から勝山に築城を開始した平山城です。
1627年に松山城の完成直前に加藤嘉明が会津藩に転封となり、蒲生忠知が入城し松山藩24万石の藩主となります。
蒲生家が断絶し、1635年に松平定行が城主となり、1642年に五重の天守を三重に天守に改築します。
その後天守は火災により焼失してしまいますが、1852年に再建されこの時の天守が現在でも残る天守となります。
現在でも標高132mの勝山山頂部に本丸、本壇の石垣造りの郭群があり天守が現存しています。
本壇は天守を中心に小天守、隅櫓を四方に配しそれを渡櫓で囲う、連立式の形式となっていて、近世城郭最高の防御力をもつものとなっています。
連立式の形式は伊予松山城の他には、姫路城や和歌山城といったごく一部のお城にしかありません。
天守はもちろん、野原櫓、戸無門、隠門、隠門続櫓、乾櫓、紫竹門など多数の現存の城郭建築物があり、見どころとなっています。
松山城・基本情報、アクセス
所在地:〒790-0008 愛媛県松山市丸之内1
城 主:加藤氏、蒲生氏、松平氏
形式:平山城
文化財史跡:国指定史跡・重要文化財21棟
日本100名城スタンプ場所:松山城天守入口
松山城・駐車場
松山城の東側に松山城駐車場(喜与町)があります。
しかし、駐車できる台数が非常に少ないです。
また、松山城のやや南側に二の丸庭園駐車場があります。
無料ですが30台程しか駐めることが出来ないので、混雑が予想されます。
満車時は、松山城周辺にはコインパーキングが多数あるので、そちらを利用しましょう。
松山城・二の丸
黒門跡
黒門口登城道は三ノ丸から二ノ丸、本丸へ向かう大手口になります。
わずかな距離に黒門、栂門、槻門があり、石垣でクネクネと折れが続き直進出来ないようになっています。
非常に厳重な登城道です。
槻門跡
槻門周辺の石垣はかなりの高さがあり迫力満点です。
上部に行くほど角度が急になっているのが綺麗です。
二の丸史跡庭園
登城道を進んで行くと土塀と門があります。
門の先には二ノ丸庭園がありますが、こちらの入口は封鎖されています。
別の門から入れるようです。
松山城には二ノ丸庭園があります。
庭園を囲むように櫓や門が復元されているのが良いです。
ここはあまり人がいなくて、静かな場所でした。
当時二の丸内には公礼儀式を行う大書院や大井戸などがありました。
大井戸からは日露戦争時のロシア金貨が発見されていて、ロシア人男性と日本人女性の名前が刻まれていました。
親密な関係だったと思われ、そのことから、現在二ノ丸庭園は恋人の聖地になっています。
登り石垣
松山城には登り石垣があります。
本丸と二の丸の斜面に石垣が築かれていて両郭を繋いでいます。
全国でも珍しい遺構で、松山城の他には彦根城や洲本城等があります。
松山城・本丸
大手門
しばらく山道を登って行くと大手門の石垣が見えて来ます。
こちらの石垣も非常に高いです。
道の途中で猫を発見!松山城に歓迎してくれているのでしょうか。癒やされます。
大手門を通り抜けると、太鼓櫓があります。
太鼓櫓
目の前に石垣と太鼓櫓がドーンと待ち構えています。
太鼓櫓の石垣は15.5mもあり、太鼓櫓を仰ぎ見る形になります。非常に迫力あります。
真っ直ぐ行く道の方には天守群が見えていますが、この道は行き止まりになっていて本丸へは行けません。
本丸へは右の方へ行く道で太鼓櫓を背にしなければ行けません。
背後から攻撃されてしまいます。縄張りが非常に良く考えられています。
戸無門(重要文化財)
太鼓櫓を背にして進むと戸無門があります。
この門は最初から扉が付けられていません。
敵は一気にこの門を通過し、次の筒井門へなだれ込みます。
筒井門
敵が行きよい良くこの筒井門に来て、門を突破しようとします。
しかしここで罠があります。
筒井門の横には石垣で隠れていて分かり辛いですが、隠門があるのです。
隠門(重要文化財)
城内の守兵がこちらの隠門から打って出て、筒井門を攻撃している敵兵を奇襲します。
戸無門であえて扉を付けなかったのは、敵を油断させ、隠門に気付かれないようにする為だったのです。
このような構造は見たことがないですね。
隠門続櫓(重要文化財)、筒井門東続櫓、筒井門西続櫓
筒井門または隠門を通り、振り返るとこの写真のようになっています。
同じ場所に通じていることが分かります。
また、隠門の上にある隠門続櫓は、慶長年間に建てられたもので、重要文化財になっています。
太鼓門
筒井門の先には太鼓門があります。
太鼓門の直ぐ横には巽櫓があり(写真には写っていませんが)、太鼓門を突破しようとする敵を攻撃出来るようになっています。
天守群遠景
本丸は広い郭になっていて、お土産屋さんや自動販売機があります。
山道を登ってきて一息つけますね。本丸から天守を見ることが出来ます。
やっとここまで来ましたが、この先が連立天守になっていて、複雑な経路で非常に厳重な縄張りになっています。
【松山城天守】
所在地:〒790-0008 愛媛県松山市丸之内1
営業時間:2~7月 9:00~17:00(全て入場は30分前まで)
8月 9:00~17:30
9月~11月 9:00~17:00
12月~1月 9:00~16:30
入場料:大人520円・小人(小学生)160円
定休日:12月第3水曜日
松山城・本壇
天守(重要文化財)本壇入口
本壇入口には、左側に小天守、正面に天守、右側に一ノ門南櫓があります。
櫓や土塀に囲まれていて、三方向から攻撃出来るようになっています。威圧感が半端ないです。
先へ進むと一ノ門があります。
一の門(重要文化財)
一の門は本壇の入口を守る門です。
1784年に雷で焼失し、1786年に再建されたもので、重要文化財に指定されています。
一の門を通ると、二の門が立ち塞がります。
二の門(重要文化財)
二の門は本壇の第二の門です。
1784年に雷で焼失していて、1785年に再建されています。こちらも重要文化財です。
二の門を通ると、三の門が立ち塞がります。
三の門(重要文化財)
三の門は本壇の第三の門です。
1784年に雷で焼失していて、1854年に再建されています。こちらも重要文化財です。
三の門を通ると、筋鉄門が立ち塞がります。
筋鉄門東土塀(重要文化財)、筋鉄門
左手には重要文化財の筋鉄門東土塀があり、正面には筋鉄門があります。
本当に櫓や土塀や、門に囲まれていて厳重にも程があるのではないかと思ってしまいます。
複雑な構造で、迷路のようですね。
筋鉄門を抜けると連立天守に囲まれた中庭になります。
天守(重要文化財)連立内部
松山城天守は三重三階地下一階で重要文化財に指定されています。
加藤嘉明が建てた当初は五重であったと云われていますが、1642年に松平定行によって三重に改修されています。
しかし、1784年に雷で焼失した為、1854年に再建されました。現在の天守ですね。
天守内は展示物はさほど多くはありませんが、現存している当時の建物の造りを見ることが出来ます。
復元された資料館の天守も悪くはありませんが、やはり現存は良いですね。
連立式の中庭
天守群の建物からは、連立天守の中庭が見れます。
天守、小天守、隅櫓、渡櫓で四方を囲まれていることが分かります。
天守を出て本丸の北側に向います。
野原櫓(重要文化財)
野原櫓は本丸の北にある二重櫓です。
入母屋造りに物見を載せた、望楼型二重櫓で全国で唯一の遺構です。
大変貴重な櫓で、重要文化財に指定されています。
乾門、乾門東続櫓
乾門は搦手の防御を担う門です。
直ぐ横には乾門東続櫓があり、横矢が掛けられます。
また、奥には隅櫓や、土塀が連なっているのが見えます。
北隅櫓、十間廊下、南隅櫓
本丸西側からは、北隅櫓と十間廊下と南隅櫓が連なっているのが見れます。
復元されたものですが、石垣の上にズラッと並んでいて石落としが各所に備えられているのが圧巻です。
紫竹門西土塀(重要文化財)
紫竹門西塀は重要文化財です。
写真の手前側は外の的を攻撃するようになっていますが、奥側の塀は内側の敵を攻撃するようになっています。
搦手から侵入し、紫竹門を突破使用とする敵を攻撃する事を想定して造られています。
珍しい構造です。
紫竹門西土塀(重要文化財)
紫竹門を通った所から見ると分かりやすいですね。
紫竹門(重要文化財)
紫竹門は大手と搦手を仕切る門で、重要文化財に指定されています。
門の前面、小天守の下に紫竹が植えられていたことに由来して紫竹門と云われています。
搦手から敵を防ぐ重要な門です。
高石垣
大手門まで戻り、隠門の下に行きます。石垣が非常に高いですね。
打込接ぎで整然と積まれていて綺麗です。
この先には、ロープウェイがあるので、黒門口登城道を登らなくても良いです。
まとめ
伊予松山城は、重要文化財に指定された当時の建物が非常にたくさんあり、当時のお城を分かりやすく体感する事が出来ます。
また、松山城の近くには、大正時代に建てられた萬翠荘や、司馬遼太郎の明治時代の秋山真之を描いた、坂の上の雲ミュージアム、少し離れた場所ですが、日本最古の道後温泉等様々な観光名所があります。
松山市は非常に魅力的な場所ですね。
松山城ウェブサイト
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