愛知県名古屋市の名古屋城。
16世紀前半に今川氏親が尾張進出の為に柳ノ丸を築いた事に始まります。
1538年に織田信秀が今川氏から奪取し那古野城と改名し、1542年には織田信長の居城となりました。
1610年に徳川家康が西国の一大防衛拠点として、全国の諸大名に命じて築城(天下普請)しました。
五重の天守の天主台は築城名人である、加藤清正が築いたとされ、天守には金の鯱が上げられました。
「尾張名古屋は城で持つ」とまで云われ、徳川御三家の筆頭に相応しいお城になります。
1626年には二代将軍の徳川秀忠、1634年には三代将軍の徳川家光、1865年に十四代将軍の徳川家茂が上洛の途中に立ち寄りました。
名古屋城のシンボルであった天守は、太平洋戦争の戦火によりが焼失してしまいます。
現在では本丸に五重五階の天守と二重二階の小天守が鉄筋コンクリートで再建されています。
近年(2018年)に江戸時代の図面や資料、古写真等を元に本丸御殿が忠実に復元され、公開されています。
また、御深井丸に清洲櫓(西北隅櫓)、本丸に南西隅櫓、南東隅櫓、表二ノ門の建築物や天主台、郭の石垣、堀などが現存し見どころとなっています。
名古屋城・基本情報、アクセス
所在地:〒460-0031 愛知県名古屋市中区本丸1-1
城 主:徳川氏
形 式:平城
文化財史跡:国指定特別史跡・国指定史跡・重要文化財5件
日本100名城スタンプ場所:正門改札所、東門改札所
名古屋城・駐車場
名古屋城の南側に「名城公園正門前駐車場」があります。
かなりの大型駐車場ですが、それでも満車になる事があるので、午前中に駐車した方が良いかもしれません。
駐車場から道路を渡ると、西の丸の券売所と正門があります。
名古屋城・御城印
名古屋城 御城印
名古屋城の御城印が販売されています。
名古屋城の売店「名古屋城正門横売店(お休み処)、名古屋城内苑売店(甘味処)」で購入する事が出来ます。
名古屋城・西の丸
正門
西の丸の正門は戦火で焼失してしまったので、1959年に再建されました。
格式が高い櫓門で、正門は一部の家臣、重臣しか通る事が出来ませんでした。
正門は堂々たるもので凄いですが、石垣の石の一つ一つが大きく、迫力があります。
お城に訪れるたびに思うのですが、このような大きな石を良く積んだなと感心します。
【特別史跡 名古屋城】
所在地:〒460‐0031 愛知県名古屋市中区本丸1‐1
開園時間:9:00~16:30(本丸御殿、西の丸御蔵城宝館への入場は16:00まで)
入場料:大人500円・中学生以下無料
休園日:12月29日~1月1日
ウェブサイト:名古屋城公式ウェブサイト
天守閣と南西隅櫓(重要文化財)
西の丸から堀越しに天守閣と西南隅櫓が早速見えてきます。
本丸西南隅櫓は、二重三階の現存の櫓です。
西と南面の二階部分に、出窓方の石落としが付いているのが特徴的です。
なにげに南面の出窓部分は唐破風になっているのが面白いです。
それにしても手前の空堀の深さ、幅が凄いです。
そして、本丸側の石垣は西の丸より高く積まれているので、狙い撃ちにされてしまいますね。
堀底に鹿がいたのですが、名古屋城で飼っているのでしょうか?
西の丸御蔵城宝館
西の丸の北側には「西の丸御蔵城宝館」があります。
かつて西の丸にあった三番蔵と四番蔵の外観を再現した展示施設で、名古屋城の歴史や本丸御殿の障壁画などが展示されています。
無料(名古屋城の入城料のみ)で見学する事が出来るので、必見です。
名古屋城・本丸
表二ノ門(重要文化財)と南東隅櫓(重要文化財)
本丸の南側には表二ノ門があります。
表二ノ門は1612年に建てられた現存していて、築城当時の貴重な門です。
門の柱や扉には鉄板が打ち付けられていて、頑丈になっています。
門の周りの土塀には鉄砲狭間が切られていて、土橋の敵を攻撃出来るようになっています。
現在は埋め立てられていますが、表二ノ門の手前には、大手馬出がありました。
大手馬出の左右には小さな通路が本丸の堀側に設けられていて、本丸の西南隅櫓、東南隅櫓、表二ノ門土塀、大手馬出から集中攻撃が出来る縄張りになっていました。恐ろしいぐらいの鉄壁です。
東南隅櫓は、1612年に建てられた現存の二重三階の櫓です。
西南隅櫓と同様に、二階部分に出窓型の石落としが設けられています。
南側の二階部分の屋根が切妻造りになっているのと、東側の三階の屋根が軒唐破風になっているのが特徴的です。
日本のお城は左右対称ではなく、一部を少し変える事によって左右非対称の美を求めていますね。
よく観察して見ると面白い発見があります。
本丸御殿
本丸御殿は2018年に木造復元されました。
江戸時代の図面や資料を基に忠実に再現されました。
建築当初の本丸御殿は、尾張藩 徳川義直の居館、政務を執り行う場所でした。
その後、二の丸御殿にその機能が移されてからは、将軍が上洛する際の宿舎として使用されました。
現在では、寛永期の御殿が忠実に再現されており、金を多用した豪華絢爛な襖絵や、彫刻を見学する事が出来ます。
徳川御三家の栄華を伺い知る事が出来ます。
天守閣
本丸北西には五重七階地下一階、層塔型の天守閣が建てられています。
築城当時の天守は太平洋戦争の戦火により焼失してしまったので、現在の天守閣は1959年に鉄筋コンクリート造りで再建されたものです。
名古屋城の天守閣といえば金の鯱が有名です。
金の鯱に使われている小判の枚数は17,975両にもなり、東海道にまで輝きが届いたと云われています。
徳川家の財力を象徴しています。
二重二階の小天守を通り抜けると、天守閣へ入る事が出来ます。
内部は資料館になっていて、名古屋城、尾張藩由来の様々な品が展示されていましたが、現在では木造での復元計画があり、入場する事が出来ません。
復元にはまだまだ時間が掛かるので、当面の間は待つしかありませんね。
清正石
本丸の東には清正石があります。
名古屋城内一の巨石で、加藤清正が運んだされています。
しかし、この石垣の担当は黒田長政なので、逸話に過ぎません。
不明門
本丸北には不明門があります。
不明門は本丸と御深井丸を接続している門です。
当時は門に鍵が掛けられていて、閉まっていたのであかずの門と呼ばれていました。
この門にも鉄板が貼り付けられてい重厚感があります。
名古屋城・二の丸
東二ノ門(重要文化財)
旧二ノ丸東二ノ門は1617年に建てられた、現存の高麗門です。
柱や門扉に鉄板が打ち付けられていて、重装な雰囲気が伝わってきます。
元々は二ノ丸東鉄門跡にありましたが、現在の場所に移築されました。
門の先には清正石が見えています。
南蛮練塀
二の丸北には南蛮練塀があります。
普通の土塀とは違って、柱や板を使わずに砂利や粘土など石炭、油で練り固めて造られています。
鉄砲を撃つための狭間が切られています。珍しい塀ですね。
このほかにも二の丸には名勝二ノ丸庭園や、那古屋城跡があるので、ゆっくりと散策すると良いでしょう。
那古屋城跡
二の丸には那古屋城跡があります。
大永年間(1521~1528年)に今川氏親が築いた城で、今川氏豊を城主としました。
1538年に織田信秀が那古屋城を奪い自身の居城としますが、1542年に古渡城を築き移ります。
二之丸東門跡
二の丸の東側には東門跡があります。
二之丸東門は大きな石材を使用した石垣で、四角い空間桝形が形成された厳重な虎口となっています。
内部には雁木(石段)があり、城兵が一斉に石垣の上に登る事が出来るように工夫されています。
石垣と空堀
二の丸の東側には空堀が築かれています。
空堀は深さが10m以上、幅が20m以上はあり、外側より二の丸側の石垣部分の方が高くなっていて、敵を寄せ付けません。
空堀ひとつとっても名古屋城の規模の大きさが確認できます。
二之丸大手二之門(重要文化財)
二の丸の西側には二之丸大手二之門があります。
二之丸大手二之門は、二の丸西側の桝形虎口を形成する外側の門で、切妻造りの本瓦葺きの高麗門です。
名古屋城・御深井丸
清洲櫓「西北隅櫓」(重要文化財)
御深井丸の北西に清洲櫓があります。
清洲櫓は三重三階の現存櫓で、清洲城の小天守を移築したものです。
そのまま移築したのでは無く、一度解体し、その部材を使用して建てられたものと考えられています。
清洲櫓は一般的なお城の天守に匹敵する程の大きさがあります。
通常は内部公開されていませんが、特別に公開する日があります。
隅櫓として三重三階の櫓を使用してしまうとは、名古屋城の規模の大きさが圧倒的です。
金シャチ横丁
「名城公園正門前駐車場」の東側と「二の丸東有料駐車場」の南側には、金シャチ横丁(義直ゾーンと宗春ゾーン)があります。
金シャチ横丁では名古屋名物のひつまぶしや味煮込みうどん、あんかけスパなどの飲食店、お土産店などが立ち並んでいます。
テイクアウトできる甘味処もあるので、名古屋城観光の際は必見です。
ウェブサイト:金シャチ横丁
まとめ
「尾張名古屋は城で持つ」と云われただけあって、天守、櫓、御殿、石垣、堀どれをとっても圧巻の一言です。
徳川の財力をこれでもかと云わんばかりのお城です。東海一の規模のお城で必見です。
また、名古屋城には所々に売店施設があるので、歩き疲れたときに休憩する事ができます。
交通アクセスも良く、平地ですのでゆっくりと散策してみると良いと思います。
ウェブサイト:名古屋城公式ウェブサイト
コメント