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【群馬県・名胡桃城】真田氏、北条氏の争奪戦となり、豊臣秀吉の小田原攻めのキッカケになったお城

お城

お城を紹介します。

群馬県利根郡の名胡桃城です。

戦国時代に武田氏の家臣であった真田氏が沼田城を攻略する為に、1579年に利根川と赤谷川の合流地点の段丘地に築いた事に始まります。

真田氏が沼田城を攻略後に真田氏と北条氏の間で領地争いになると、1589年に豊臣秀吉が名胡桃城、沼田城の裁定を行いました。

名胡桃城は真田氏に、沼田城は北条氏と決まりますが、北条氏の猪俣邦憲が名胡桃城に侵攻した事により、豊臣秀吉の怒りを買ってしまいます。

この真田氏と北条氏の争いにより、豊臣秀吉の小田原攻めのキッカケになりました。

現在の名胡桃城では、曲輪や木橋などが整備され、当時の城跡を伝えています。

名胡桃城

所在地:群馬県利根郡みなかみ町下津

城 主:真田氏

続日本100名城スタンプ場所:名胡桃城址案内所

名胡桃城の西に、名胡桃城址案内所があるのでこちらの駐車場を利用すると良いでしょう。

無料の駐車場で、30台ほどは駐められます。

ちなみに駐車場となっている場所は、般若郭跡です。

三郭と二郭を隔てる堀切に架かる橋

名胡桃城址案内所から名胡桃城へ歩いて行くと、三郭に着きます。

三郭には馬出が接続していましたが、現在では埋め立てられていて分かりません。

三郭には三棟の掘立柱建物があった形跡が発掘調査で判明しています。

三郭と二郭の間には堀切で隔てられていて、橋が架けられています。

二郭南虎口

写真では分かりませんが、橋を渡ると門の手前にクランク状の小さなスペースがあり、食い違い虎口になっています。

敵の側面を攻撃できる横矢掛かりになるように、縄張りが工夫されています。

橋を渡ると二郭です。

二郭から見た、堀に架かる橋

二郭の土塁上から見た、二郭南虎口と堀切に架かる橋です。

草が生い茂っていて分かりづらいですが、堀の深さは5m、堀幅は10mもあり、敵の侵入を防いでいます。

二郭

二郭は名胡桃城では大きな郭です。

南北は復元された土塁が築かれ、現在はありませんが東西も土塁が築かれていました。

二郭の西側には8棟の掘立柱建物があった事が、発掘調査で判明しています。

二郭北虎口

二郭の北側には門があり、その先には二郭北虎口があります。

二郭北虎口はクランク状のスペースがあり、こちらも側面攻撃ができるようになっています。

二郭と本郭を隔てる堀切に架かる橋

二郭北虎口の先の本郭前は、堀切が設けられています。

本郭前の堀切は、深さ8m、堀幅15mもあり、二郭前の堀切よりも大規模なものになっています。

写真で見てみても堀切の大きさが分かります。

本郭

橋を渡ると、本郭です。

名胡桃城址の碑が建てられていて、四阿もあります。

本郭には天守は築かれてはなく、建物の状況は分かっていません。

本郭とささ郭への虎口

本郭の先にはささ郭があります。

本郭とささ郭の間にも堀切があり、現在は階段が設けられているので、ささ郭に行くことができます。

六文銭の形をした五円

ささ郭は細長い郭で、東西に土塁が築かれています。

ささ郭のさらに先には、袖郭と物見がありました。

石碑の上に真田家の家紋である六文銭の形をした、五円が供えられていました。

やはり真田氏お城であり、親しまれていることが分かります。

ささ郭からの景色

ささ郭からの景色です。

名胡桃城が迫り出した段丘部に築かれた事が実感します。

本郭、二郭、三郭の東西が谷になっており、自然の地形を最大限に生かした堅固なお城だということが分かります。

北側の崖なので、基本南側からしか侵入できない縄張りになっています。

名胡桃城の幟旗

名胡桃城は比較的小さな規模ですが、自然の地形を生かしたお城です。

この名胡桃城が豊臣秀吉の小田原攻めのキッカケになるとは、歴史は面白いです。

近くには争点となった沼田城があるので、名胡桃城とセットで行くのが良いかと思います。

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