鳥取県米子市にある米子城。
1467年に山名宗之が米子飯山砦を築いた事に始まります。
1591年に東出雲、西伯耆、隠岐を領した吉川広家が湊山に米子城を築城します。
1600年の関ヶ原の戦い後、吉川広家は周防岩国へ転封となり、中村一忠が伯耆国18万石を領し、尾高城に入城します。
1602年に米子城が完成し尾高城から移り、1603年に中村一忠は家老である横田内膳村詮を誅殺する米子城騒動が発生します。
1609年に中村一忠が急死し中村家が断絶した為、1610年に美濃国黒野城主の加藤貞泰が6万石で米子城に入ります。
1617年に加藤貞泰は伊予大洲城に転封となり、因幡の領主である池田光政の一族である池田由之が米子城預かりとなります。
1632年に池田光仲が因幡の領主となり、家老の荒尾氏が代々米子城預かりとなります。
現在では国の史跡に指定され、本丸の大小の天守台、二の丸の桝形虎口(表中御門)、旧小原家長屋門等が残され見どころとなっています。
米子城・基本情報、アクセス
所在地:〒683‐0824 鳥取県米子市久米町
城 主:山名氏、尼子氏、吉川氏、中村氏、加藤氏、池田氏
形 式:平山城
文化財史跡:国指定史跡
続日本100名城スタンプ:米子城跡三の丸番所、米子市立山陰歴史館
米子城・御城印

米子城 御城印 1枚300円
米子城の御城印が販売されています。
「米子市立山陰歴史館」で1枚300円で購入する事が出来ます。
歴史館では米子城に関する資料が展示はもちろん鉄道の資料、昔の生活用具などの展示もあり必見です。
米子城の続日本100名城スタンプも設置されています。
【米子市立山陰歴史館】
所在地:〒683‐0822 鳥取県米子市中町20
開館時間:9:30~18:00(入館は17:30まで)
入館料:無料
休館日:火曜日、祝日の翌日、年末年始(12月29日~1月3日)
ウェブサイト:米子市立山陰歴史館
米子城・駐車場

米子城の北東側の三の丸跡に「米子城跡三の丸駐車場」があります。
41台駐車できる広さの無料駐車場で、トイレも駐車場内に完備しています。
米子城・縄張り図

米子城は標高90mの湊山に築かれた平山城です。
山頂部に本丸があり、北側の山麓部に二の丸、更に北側に三の丸が配置されています。
湊山の東側にある戦国時代に主郭となっていた飯山は出丸として機能しています。
米子城・三の丸
三の丸番所

三の丸の駐車場横には三の丸番所があります。
三の丸番所は番所風の外観をした休憩所のような場所で、米子城を紹介する映像が流れていたり続日本100名城のスタンプが設置されています。
トイレや自動販売機も設置されているので、米子城散策の拠点となります。
三の丸内部

三の丸は米子城が築かれている湊山の北東山麓に築かれています。
江戸時代には米蔵が十数棟も立ち並んでいました。発掘調査により米蔵の基礎や、石組の水路などが確認されています。
現在三の丸は憩いの場所となるように整備中となっています。
米子城・二の丸
桝形虎口

二の丸の東側に桝形虎口跡があります。
桝形虎口は石垣により四角い空間を造り、通路を折り曲げる事で横矢が掛けられるようにしています。
発掘調査により実際の石垣の高さは4m、入口の両側には2つの鏡石が配置されていた事が確認されています。
二の丸表中御門跡

桝形虎口の先には表中御門跡があります。
石段の両側には高さ6~7m程の石垣が築かれていて、米子城で最も威厳と迫力があり虎口となっています。
当時は石段の奥に門と石垣上に土塀や櫓が建てられていたと思われます。
二の丸表中御門跡はと桝形虎口は石垣が高く迫力があり見どころです。
旧小原家長屋門(市指定有形文化財)

二の丸には旧小原家長屋門があります。
旧小原家長屋門は米子市内の西町にあった小原家の長屋門で、1953年に市に寄贈され現在の場所に移築されました。
江戸時代中期の建物で入母屋造りの平屋建てで、扉の右側に1部屋、左側に2つの部屋があります。
旧小原家長屋門は米子の江戸時代の武家建築として貴重で、見どころです。
米子城・内膳丸
石垣

二の丸の北西側に内膳丸があります。
入口には2段に積まれた石垣が残されていて、当時の様子を垣間見ることが出来ます。
内膳丸内部

内膳丸は中村氏が城主だった時代に家老の横田内膳正村詮が構築した郭です。
標高は52mあり2重櫓が数棟建てられ、武器庫として利用されていました。
米子城・本丸
登り石垣

内膳丸と本丸の間には登り石垣が残されています。
登り石垣は吉川広家によって朝鮮半島で築城した倭城を参考に築いたと考えられていて、斜面に築く事により敵の移動を制限しています。
登り石垣は全国的に見ても数少ない遺構で、米子城の他には彦根城や伊予松山城、洲本城に築かれています。
虎口跡

本丸の北東側に虎口があります。
虎口は石垣により通路が折り曲げられていて、当時は門や櫓が建てられていたと思われます。
虎口の先には番所跡があり、見張り番が詰めていた番所が建てられていました。
石垣(天守台)

本丸の中心に天守台があります。
番所跡付近からは天守台と四重櫓の石垣、段々に積まれた本丸の石垣を一緒に見る事が出来て、壮観です。
番所跡から見る天守台や四重櫓の石垣は米子城を代表する景観となっていて、見どころです。
四重櫓跡(石垣)

天守台の南側に四重櫓の石垣があります。
四重櫓は吉川広家が城主の時に建てた初代の天守で、後に中村一忠が建てた天守がある為、副天守とも呼ばれています。
四重櫓の石垣は天守台の石垣よりも接合面が綺麗に加工されていて、特に算木積みの角部分が鋭く勾配も急となっています。
四重櫓の石垣は米子城で最も加工技術が高く丁寧に積まれていて、迫力があり見どころです。
鉄御門跡

本丸の最高所に入る為の虎口跡に鉄御門跡があります。
石垣により四重櫓の麓から右、左、右と折れる坂道(石段)通路が形成されていて、厳重な虎口であることが伝わって来ます。
当時は鉄張りで2階建ての門が建てられていて、本丸を守っていました。
天守台

本丸の中心に位置する天守台は荒々しい印象を受けますが、四重櫓台よりも一回り大きく迫力があります。
1600年に城主となった中村一忠が望楼型の四重五階の天守を建てました。
天守の高さは21m、初重と二重は10間×8間、三重目は7間×6間、四重目と五重目は3間×2間半で5階は望楼部の廻縁を囲った板庇があり、異様な外観となっていました。
景色

米子城の本丸は視界を遮るものが無く、周囲を見渡すことが出来ます。
北西側は日本海や中海、東側は米子の町並みを一望する事が出来て、米子城の見どころの一つとなっています。
遠見櫓跡

本丸の北側に遠見櫓跡があります。
当時この場所には平屋櫓と二重櫓が建てられていて、着見櫓とも呼ばれていました。
水手御門跡

本丸の西側には水手御門跡があります。
現在でも石垣が残されていて、麓の船小屋に通じる道がありました。
まとめ

【米子城の見どころ】
・番所跡から見る壮大な天守台と四重櫓、本丸の石垣
・吉川広家時代に築かれた米子城で最も丁寧に積まれた四重櫓の石垣
・二の丸西側の石垣で形成され厳重な桝形虎口跡と表御門跡
・米子城の武家屋敷を現在に伝える旧小原家長屋門
・本丸から見渡す事が出来る絶景な内海、日本海、米子の町並み
ウェブサイト:米子城公式ホームページ-絶景の城、米子城。
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