諏訪原城の御城印やアクセス、多数の丸馬出や本曲輪などを紹介!

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お城

静岡県島田市の諏訪原城です。

1573年に武田勝頼が遠江へと侵攻する為の拠点として築かれました。

お城の東側は切り立った崖と大井川があり、後ろ堅固な縄張りです。

大手口である西、南側は丸馬出を複数築き、防御力を高めています。

武田氏が長篠の戦いで敗戦すると、徳川家康によって攻略されます。

その後、徳川氏のお城として使用されますが、武田氏が滅亡すると、お城も必要なくなり廃城となります。

現在でも、巨大な丸馬出や空堀が残り、当時の異様を垣間見る事ができます。

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諏訪原城・基本情報、アクセス

所在地:〒428-0037 静岡県島田市菊川

城 主:室賀氏、牧野氏、松平氏、今川氏

形 式:山城

文化財史跡:国指定史跡

続日本100名城スタンプ場所:諏訪原城ビジターセンター

諏訪原城・駐車場

諏訪原城・ビジターセンター駐車場

諏訪原城の南に諏訪原城ビジターセンターがあります。

こちらには8台程駐められる駐車場があります。

ビジターセンターでは諏訪原城の資料が豊富にあるので、まずはここで勉強すると良いです。

諏訪原城・御城印

  諏訪原城 御城印 1枚300円

諏訪原城の御城印が販売されています。

ビジターセンターで1枚300円で購入する事ができます。

ガチャガチャで引換券を購入し、管理人さんに交換して貰う珍しいシステムです。

諏訪原城・縄張り

諏訪原城・縄張り図(現地案内板より)

諏訪原城は大井川の西側の断崖に築かれた山城です。

本曲輪を大井川そばの断崖に配置する後ろ堅固な縄張りで、西側の平地部分に二の曲輪、大手曲輪が配置されています。

諏訪原城の最も特徴的なのは、虎口の前面に築かれた丸馬出で、6箇所も築かれる徹底ぶりで、巨大な空堀は土造りのお城の迫力を感じることができます。

諏訪原城・大手曲輪

武家屋敷跡

大手曲輪・武家屋敷跡

ビジターセンターから3分程歩いて行くと、大手曲輪と武家屋敷跡があります。

現在は平地になっていますが、当時は武家屋敷があったのでしょうか。

大手北外堀

大手北外堀

大手曲輪の直ぐそばには、大手北外堀があります。

大手曲輪の北側の外郭の空堀です。

現在でも堀の跡が数十m残っています。

諏訪原城・二の曲輪

中馬出

二の曲輪中馬出

大手北外堀の先には、二の曲輪中馬出が立ち塞がります。

綺麗に弧を描いた丸馬出と、その手前の三日月堀が圧巻です。空堀は深さ9m、堀幅20mにもなり、写真で伝わり辛いのが残念です。

いきなりクライマックス感があります。

土造りの丸馬出がここまで綺麗に残っているのは貴重ですね。必見です。

二の曲輪中馬出の土橋(南側)
二の曲輪中馬出の土橋(北側)

三日月堀に沿って歩いて行くと馬出内に入る為の、土橋があります。

人が一人通る位の幅で、土橋を通る敵を馬出内から攻撃出来るようになっています。

外堀

外堀

大手曲輪や丸馬出と二の曲輪を仕切る外堀です。

二の曲輪の全面に渡って堀があり、幅も20mあります。

この外堀が丸馬出の後ろにあるので、敵は丸馬出を突破しなければ二の曲輪へは辿り着きません。

鉄壁の構えですね。

北馬出

二の曲輪北馬出に復元された薬医門

北馬出には2016年に薬医門が復元されています。

北馬出内に入ろうとする敵を防ぐ為に築かれていて、諏訪原城で唯一の城郭建築物となっています。

薬医門は礎石を参考に復元されました。

二の曲輪から見た、二の曲輪中馬出

二の曲輪から見た、二の曲輪中馬出です。

外堀の奥に馬出があります。

馬出内に敵が侵入してきても二の曲輪から攻撃出来ます。

写真左側には馬出から二の曲輪に入る為の土橋があります。

こちらも人が一人通れる位の幅です。二の曲輪はかなり広い曲輪で、平地になっています。

内堀

二の曲輪と本曲輪を仕切る内堀

二の曲輪と本曲輪の間は、内堀で仕切られています。

本曲輪を取り囲むように内堀が築かれています。

内堀も外堀と同等の深さ、堀幅があり、迫力があります。

曲輪内部・仕切土塁

二の曲輪・仕切土塁

二の曲輪は南北315m、東西75mと諏訪原城で最も広い曲輪で、くの字の形をしています。

二の曲輪の中央部分には仕切土塁が築かれていて、南北に仕切られています。

諏訪原城・本曲輪

土橋

本曲輪への土橋

本曲輪へはこの土橋を渡って行きます。

土橋の幅は1~2m程はあります。両側を外堀に挟まれています。

曲輪内部

本曲輪内部

本曲輪は諏訪原城の最深部です。

本曲輪は二の曲輪より少し小さい位の広さで、二重の櫓が組まれ物見役割をしていました。

東、北側は崖になっていて後ろ堅固の縄張りになっています。

さらに東には大井川が天然の堀として利用されています。

自然の地形を巧みに取り入れたお城造りがされています。

景色

本曲輪からの景色

本曲輪の背後は切り立った崖になっていて、奥には大井川が見えます。

諏訪原城・カンカン井戸

カンカン井戸

本曲輪の南側から谷底に降りる道があります。

本曲輪の南にある水の手曲輪にはカンカン井戸があります。

石で井戸が組まれていて、この井戸で城内の水を確保していたと思われます。

諏訪原城・二の曲輪

土橋

二の曲輪と二の曲輪大手馬出を繋ぐ土橋

二の曲輪と二の曲輪大手馬出を繋ぐ土橋です。

この土橋の両側も外堀が築かれています。

諏訪原城は堀が綺麗な状態で残されているので、曲輪の形、縄張りが分かりやすいです。

諏訪神社

諏訪神社

現在の二の曲輪大手馬出には諏訪神社が鎮座しています。

武田氏がお城を築いた際に建てられたようです。

南馬出

二の曲輪南馬出

二の曲輪大手馬出の南東には、二の曲輪南馬出があります。

ここの馬出も形が綺麗に残っています。

東馬出

二の曲輪東内馬出

さらに二の曲輪南馬出の東側には、二の曲輪東内馬出があります。

二の曲輪の前面に馬出がこれでもかと築かれていて、二の曲輪、本曲輪には敵を絶対に近づけないぞ、という意気込みが感じられます。

支城である諏訪原城でもここまで力を注いで築かなければ、戦国時代を生き抜いていけないということでしょうか。

戦国時代の厳しさが伝わってきます。

最後に

二の曲輪 中馬出

諏訪原城はとにかく良好に残る丸馬出と、前面にある空堀が必見です。

これだけの数の土造りの丸馬出が残っているのは大変貴重です。

現地に訪れて実際に見学すると、丸馬出と空堀の大きさに圧倒すると思いますので、是非現地に訪れることをオススメします。

諏訪原城ウェブサイト

 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/kuni-01.html

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