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【東京都・八王子城】豊臣方に攻め落とされた、北条氏の山城

お城

過去に訪れたお城を紹介します。

東京都八王子市の八王子城です。

北条氏康の次男 北条氏照が築城しました。

1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの際に、豊臣方に激戦の末攻め落とされました。

現在では、御主殿前の石垣や石段、曳橋等が復元整備されています。

八王子城

所在地:東京都八王子市元八王子町、下恩方町、西寺方町

城 主:北条氏

日本100名城スタンプ場所:八王子城跡管理等前

八王子城の麓のガイダンス施設の隣に無料駐車場があります。

20台程駐車出来るので、満車になることはほとんど無いかと思います。

ガイダンス施設には八王子城のパンフレットがあり、八王子城の歴史が学べるので最初に見ておくと良いでしょう。

なお、本丸まで登る場合は、登山になるので登山の装備が必須です。

御主殿跡までの場合は、軽装備で十分です。

駐車場から山道を歩いて行くと、堀切跡があります。

堀切跡

堀切跡です。現在堀切には橋が架かっています。

この橋を渡り先へ進むと、曳橋があります。

曳橋と御主殿曲輪の石垣

城山川を挟んだ先の、御主殿曲輪へ行くための曳橋です。

橋の橋台部が発見された事から橋が架かっていたのは確実ですが、どのような橋だったのかは分かっていません。

現在の橋は、戦国時代のお城の雰囲気を感じるための架けられたそうです。

曳橋付近の石垣

曳橋を渡った先の石垣です。

復元された石垣で、この城山から採れる砂岩という石を使用しています。

石の一つ一つがそれほど大きく無いのが特徴的です。

御主殿の虎口

曳橋を渡った先は虎口になっています。

コの字型に折れ曲がっていて、三回曲がらないと御主殿に辿り着きません。

通路の途中に礎石が4つ発見されていることから、櫓門が設置されていた可能性があります。

虎口を通る敵に、御主殿曲輪から攻撃出来るようになっていて厳重です。

また、両側の石垣だけでは無く、通路が石敷きになっているのが特徴的です

冠木門

御主殿曲輪入口の冠木門です。

正確な復元がされたわけではないですが、お城の雰囲気がして良いです。

御主殿曲輪に入る為の重要な入口なので、何かしらの門はあった事でしょう。

御主殿曲輪

御主殿曲輪です。

かなり広い曲輪で、礎石の跡が多数あり様々な建物があったようです。

城主の北条氏照の居館もあったと考えられています。

この曲輪から、茶道具や当時珍しかったベネチア産のレースガラス器の破片が見つかっており、当時の生活の様子が伝わってきます。

主殿の礎石

主殿の礎石です。

主殿は政治を執り行う建物です。

広さは29.4m×19.8mあり、広間や城主が座る上段がありました。

屋根は板葺きか檜皮葺だったようです。北条氏照が住んでいたのでしょうか。

御主殿の滝

御主殿の近くに滝があります。

1590年に豊臣秀吉方の攻撃により八王子城は落城しました。

その際に御主殿にいた女、子供達が滝の上で自刃したと伝わっています。

滝の水は三日三晩赤く染まったと云われています。

落城の悲劇を現在に伝えている場所ですね。

本丸へ向かうために、駐車場近くの管理棟まで戻ります。

本丸への登山口

管理等の奥に本丸への登山口があります。

ここから本格的な登山になるので、準備は必須です。

金子丸先から見える景色

ひたすら山道を登って、行くと金子丸があります。

金子丸を通り過ぎると景色が開けた場所があります。

東京の町並みが遠くに見ることが出来、大変景色が良いです。

さらにひたすら登って行くと、本丸があります。

本丸

ここが八王子城の本丸です。

山頂にある為か、結構狭い曲輪で祠のような建物があるだけです。

ここからさらに先に行くと大天守という曲輪があります。

しかし、両側が切り立った尾根伝いに山道を進む事になるので、登山になれた方で無ければ、行くことはオススメ出来ません。

かなり危険な道です。

大天守

大天守の曲輪です。

大天守という名前ですが、天守が建っていた訳ではありません。

八王子城西側の防衛拠点だったようです。

所々に石垣に使われたと思われる石が転がっています。

大堀切

大天守の西側には大堀切があります。

かなりの大規模な堀切で、迫力があります。

西側の防備を意識して造られていますね。

曳橋下の通路

八王子城は城域がとても広く、自然の地形、高低差を巧みに利用して築かれています。

北条氏照が心血を注いで築城しましたが、北条氏照が不在の隙に豊臣方の圧倒的な兵により、たった1日で落城してしまいました。

まさに戦国時代の厳しさを痛感させてくれるお城です。

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