お城の紹介をします。
静岡県静岡市の駿府城です。
戦国時代に今川氏が本拠地とする居館があった場所に、1585年に徳川家康が駿府城を築いたと云われています。
豊臣秀吉の小田原征伐後に、徳川家康が関東に移封されると、豊臣恩顧の中村一氏が城主となります。
1600年の関ヶ原の戦いを経て、1603年に徳川家康が征夷大将軍に受任されますが、1605年には将軍職を秀忠に譲ると、自身は駿府城に移り隠居城としました。
徳川家康は、駿府城の三の丸の造成や五重七階ともいわれる豪華絢爛な天守を築き、江戸城にも引けを取らない巨城となりました。
大御所となった徳川家康はこの駿府城で晩年を過ごし、江戸に並ぶ日本の政治、経済、文化の中心地へと発展しました。
現在では、輪郭式の縄張りが良好に残る城跡は、駿府城公園として整備され東御門や巽櫓、坤櫓が復元された事により、大御所徳川家康の大城郭を体感する事ができます。
駿府城・基本情報、アクセス
所在地:〒420-0855 静岡県静岡市葵区駿府公園1-1
城 主:徳川氏
形 式:平城・輪郭式
文化財史跡:なし
日本100名城スタンプ場所:東御門券売所
駿府城・駐車場
駿府城三の丸北側に、市民文化会館前駐車場があります。
有料(30分100円)ですが、246台駐められる大きな駐車場で駿府城内にあるのでオススメです。
駿府城・縄張り(輪郭式・平城)
駿府城は静岡市の中心部にあり、戦国時代に今川義元が駿府館にいた頃、幼少期の徳川家康(竹千代)が人質として過ごした場所でもあります。
現在の駿府城は、徳川家康が晩年を過ごした時に大改修された縄張りとなっていて、方形の本丸を中心に堀を隔て周囲を二の丸、三の丸と取り囲んでいる輪郭式となっています。
平地に築かれたお城なので自然地形を利用出来ないため、輪郭式の縄張りとする事で四方の防備を強めると同時に、平時の利便性を良くする事で、政治、経済、文化の発展に力を入れることも出来ます。
しかし、駿府城の西へ2㎞の所には安倍川が流れ、天然の堀として利用されています。
駿府城・三の丸
大手御門
三の丸の南には、大手御門跡があります。
大手御門は駿府城に入るための正面入口であり、三の丸堀に架かる土橋を渡ると石垣で枡形が構成されていて、右に折れています。
当時は右に折れた先に渡櫓門が設置されていて、厳重な虎口であった事が分かります。
歴史文化施設予定地
三の丸南東には、静岡市歴史文化施設の建設予定地があります。
静岡市の歴史や文化を後世に伝えるための施設で、2023年春に開館予定となっています。
開館が待ち遠しいですね。
駿府城・二の丸
東御門
二の丸東には東御門があります。
東御門は1996年に木造復元された門で、橋を渡った先の高麗門の先は枡形虎口となっています。
枡形内は櫓門と多聞櫓で周囲を囲まれており、枡形内の敵を三方向から攻撃出来るようになっています。
枡形門は近世城郭の完成形の門の構造で、最高の防御力を誇っています。
ちょうど登城した日は、橋の架け替えと展示リニューアル工事の為、通行出来ませんでした。(工事は2021年3月31日に完了する予定)
巽櫓
二の丸の南東、東御門には巽櫓が付属しています。
巽櫓は1989年に復元された二重櫓で、L字の形をした珍しい櫓です。
内部は資料館となっていて、駿府城公園で発掘された品や、駿府城天守の推定模型が展示されています。
大御所時代の大城郭を再現した、巽櫓と東御門は駿府城で一番の景観スポットとなっています。
枡形先には櫓門が復元されています。
大きな櫓門で、外壁は白漆喰総塗籠めで威厳を放っています。
枡形内の正面から写真を撮りたかったのですが工事中の為、二の丸側から写真になります。
櫓門には多聞櫓が付属していて、枡形を取り囲んでいます。
当時の駿府城のほとんどの虎口は枡形門となっていたので、本丸、二の丸、三の丸の東西南北に乱立していたと思うと、圧巻です。
北御門
二の丸の北側には、北御門跡があります。
北御門は二の丸北側に入る為の虎口で、当時は門を通ると石垣で枡形が構成されていました。
北御門を通った先の西側には馬場先御門があり、石垣で食い違い門が構成され、本丸の天守が目前の為厳重な防備となっていました。
清水御門
二の丸の西側には清水御門跡があります。
清水御門は二の丸西側に入る為の虎口で、当時は二の丸堀に木橋が架けられていました。
橋の先には高麗門があり、石垣で枡形が構成され二階建ての多門櫓と渡櫓が建てられ、厳重な虎口となっていました。
二の丸御門
二の丸の南に駿府城公園の入口があります。
しかし、この入口は近世に造られたもので、当時の虎口はここより西の場所にあります。
当時の二の丸の南虎口である二の丸御門は、埋め立てられてしまっています。
しかし、二の丸御門を構成していた枡形の跡は残っており、写真左の石垣上には渡櫓門が設けられていました。
二の丸内部
二の丸は本丸を取り囲むようにあり、二の丸南西部分は西の丸と呼ばれています。
現在は駿府城公園として整備され、本丸と二の丸を隔てていた堀はほとんどが埋め立てられています。
二の丸水路
二の丸東には、二の丸水路があります。
二の丸水路は、本丸堀と二の丸堀を繋ぐ石垣造りの水路で、本丸堀の水位を保つ機能がありました。
堀底にも石が敷いてある、珍しい遺構です。
紅葉山公園、御城印
二の丸東には紅葉山庭園があります。
紅葉山庭園は大名庭園を連想させる、四季折々の景観を見る事ができ、園内の茶室ではお茶を楽しむ事ができます。
駿府城 御城印(和紙)
駿府城の御城印は紅葉山庭園の受付で販売されています。坤櫓でも購入可能です。
和紙は300円、突板は500円の2種類から選ぶことができます。
坤櫓
二の丸の南西には坤櫓があります。
坤櫓は2014年に「駿府御城惣指図」や「駿府御城内外覚書」などを参考に、木造復元されました。
外観は二重ですが、内部は三階になっていて、3D映像の今昔スコープや駿府城のCG映像など、視覚的に学べる展示がされています。
三の丸から見た坤櫓です。
2階部分に切妻屋根が付いた石落としが付属しているのが特徴的で、壁は白漆喰総塗り籠めとなっています。
堀越しに見える石垣の隅部は算木積みで、平面部分は打込接ぎとなっています。
駿府城・本丸
徳川家康像
駿府城の中心部に本丸があります。
駿府城の本丸跡の石碑と晩年の徳川家康の像があります。
徳川家康は鷹狩りを良く行っていたと云われており、像は鷹を手にしています。
また、当時は本丸中央には本丸御殿が建てられ、諸国の大名と会う公式の場と日常の生活を行う機能がありました。
本丸堀
当時の本丸は本丸堀で二の丸と隔てられていましたが、現在は一部のみ残されています。
現在は本丸の南東には、本丸南東隅の石垣と水堀があります。
天守台・慶長期
当時は本丸の北西に天守が築かれていました。
天守は天正期に1回、慶長期に2回建てられましたが、いずれも火事や地震で焼失してしまいます。
現在は発掘調査により天守台が姿を現わし、見学する事が可能です。
特に慶長期の天守台は、南北68m、東西61mと日本一の大きさで、圧巻の一言に尽きます。
石垣の石のひとつひとつがとても大きく、天下統一した徳川家の権力を伺うことができます。
慶長期の天守台の隣には、天正期の天守台があります。
天守台・天正期
天正期の天守台は、南北37m、東西33mで築城当時は日本最大級の大きさでした。
それぞれの天守台の石垣の積み方が違うのも面白く、時代を経る毎に技術力が向上している事が分かります。
豊臣方の天守の特徴でもある、363点の金箔瓦も発掘されています。
最後に
駿府城は徳川家康の大御所時代に存在した、巽櫓、東御門、坤櫓が復元され見どころとなっています。
また、近年の発掘調査により徳川家康が建てた天守台の規模は圧巻で、見応えがあります。
今後の整備にも期待したいと思います。
駿府城公園ウェブサイト
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