滋賀県甲賀市にある黒川氏城。
永禄年間(1558~1570年)に黒川玄蕃佐により築城されたとされています。
黒川氏は六角氏に従っていましたが、織田信長が六角氏を攻めると織田氏に従いました。
織田氏の後は、秀吉に従い1585年の紀州攻めの失策を問われ所領は没収となります。
その後、黒川氏は徳川幕府の旗本として仕え、1622年以降に主郭周りに改修を加えた可能性があります。
現在でも標高380mの山中に主郭、辻屋敷などの曲輪跡があり、主郭の虎口、石段、雁木、堀切、土塁などの遺構が残り見どころとなっています。
黒川氏城・基本情報、アクセス
所在地:〒528-0202 滋賀県甲賀市土山町鮎川
城 主:黒川氏
形 式:山城
文化財史跡:なし
日本100名城スタンプ:該当なし
黒川氏城・駐車場
黒川氏城の北側にうぐい川公園があり、こちらの駐車場を利用すると良いでしょう。
10台程は停められる無料駐車場です。トイレも完備しています。
黒川氏城・縄張り図
黒川氏城は鈴鹿山脈の西麓にある比高約80mの山上に築かれています。
最高所に長方形の主郭が置かれ、西側に石段が築かれた虎口があります。
北側の一直線に延びる大手道の両側には前田屋敷、辻屋敷などの曲輪群があり、織豊期城郭の要素が見られます。
黒川氏城・登城口
登城口
うぐい川公園から県道9号線を渡ると、黒川氏城の縄張り図付きの案内板が設置されています。
鮎川城、高尾城などの周囲に点在する城郭の場所も記されています。
川沿いには桜が植えられていて春には花見を楽しむ事ができるようです。
案内板の向かい側に黒川氏城の入口があります。
獣避けのフェンスが設置されているので自分で開けて、中に入ったら閉めます。
入口から50m程歩いて行くともう一つ入口があります。
ここも最初と同様に自分でフェンスを開けて、中に入ったら閉めます。
大手道
先へ進むと大手道と書かれた案内板があります。
真っすぐ延びた道が大手道となっています。
ここから主郭までは歩いて20分程掛かります。
黒川氏城・伝前田屋敷跡
大手道を登って行くと右側に伝前田屋敷跡があります。
伝前田屋敷はやや斜面となっていて、外側には土塁のような跡が見受けられます。
黒川氏城・伝辻屋敷跡
曲輪内部
大手道を更に進むと伝辻屋敷跡があります。
伝辻屋敷も斜面に築かれた曲輪で、外側に緩い土塁が見受けられます。
大手道に面する曲輪跡は安土城に似ています。
虎口跡
大手道の終点は虎口跡があります。
虎口跡には小さな石垣が一部残されていて、当時は重要な場所であったと思われます。
堀切
虎口跡の西側、辻屋敷の南側には堀切が築かれています。
堀切は深さが2~3m程、Ⅵの曲輪側からだと10m以上はあるかと思われ大規模なものとなっています。
黒川氏城・曲輪Ⅵ
堀切
曲輪Ⅵの東側には堀切が築かれ、虎口となっています。
堀切は幅が10m以上はあり、大きな規模となっています。
堀切の下部には石垣が残されています。
石垣は下部の2段位しか残されていませんが、当時は門が建てられていたのかも知れません。
曲輪Ⅵの堀切は規模が大きく石垣も一部残されているので見どころです。
曲輪内部
曲輪Ⅵは綺麗に四角く造成され、辻屋敷跡よりも一段高い場所に位置しています。
土塁
曲輪Ⅵの周囲には土塁が築かれています。
土塁は堀切、虎口付近が良く残されていて、高さは3~4m程あります。
黒川氏城・曲輪(曲輪Ⅵの東側)
曲輪内部
曲輪Ⅵの東側にも曲輪があります。
この曲輪も大手道に面する曲輪で四角く造成されています。
土塁
曲輪の東側には土塁が残されています。
土塁は高さが2~3m程で、長さは40m以上はあり長大なものとなっています。
黒川氏城・東曲輪
空堀
先ほどの曲輪の東側にもう一つ曲輪があります。
東曲輪の西側には空堀が築かれていて、隣の曲輪を仕切っています。
東曲輪の空堀は深さは2~3m程で、長さは40m以上に渡ります。
土塁と合わせて長大な空堀は壮観で見どころです。
空堀は東曲輪の北側にも延びていて、隅から見るとL字になった空堀を見る事ができます。
曲輪内部
東曲輪も隣の曲輪と同等の規模があります。
黒川氏城・主郭下段
虎口跡
主郭北側の下段には虎口跡があります。
現在、虎口の形状はほとんど分かりませんが、大手道から主郭に行くための重要な場所であったと思われます。
堀切
虎口跡の奥には堀切が築かれています。
堀切は深さが3~4m、主郭側はもっと高さがあります。
横堀
主郭北西の下段には横堀が築かれています。
横堀は深さが2~3m、長さは50m位あり、弧を描いています。
敵を防ぐと同時に主郭に行くための道としても利用されていたと思われます。
主郭北西の横堀は良好に残されていて見どころです。
主郭下段の曲輪
主郭西側の下段に曲輪があります。
曲輪はこれまでの曲輪と比べるとやや小さな曲輪となっています。
曲輪の中央部には石列が残されていて、当時は仕切られていた可能性があります。
黒川氏城・主郭
石段(虎口受け)
主郭の西側に虎口があり、石段が残されています。
石段は6~7段程の段があり、両側には石垣が一部残されています。
主郭目前に築かれた石段は堂々としていて威厳があり、黒川氏城の一番の見どころです。
石段の横、主郭の西から南側にかけて空堀が築かれています。
石段と横堀が築かれている光景は圧巻で、黒川氏城の凄さを実感します。
石段の先は右に折れて進むようになっていて、桝形虎口のような空間となっています。
横堀(空堀)
主郭の西、南側の横堀は深さが3~4m、主郭側は10m以上はあり良好に残されています。
横堀は東へと延びて行って主郭南側の堀切となっています。
主郭西、南側の横堀は規模が大きく見どころです。
西虎口
主郭の西側に虎口があります。
虎口の手前には黒川氏城の石碑と主郭の案内板が設置されています。
案内板の「お疲れ様」が良いです。
主郭西虎口には石がゴロゴロとしていて、当時は石垣が築かれていたと思われます。
当時は石段と合わせて壮観な虎口であったんだろうなと想像してしまいます。
主郭内部
主郭は黒川氏城で最も高い場所にあります。
また、長方形の形となっていて、周囲は土塁で囲まれています。
雁木
主郭の南側には雁木が築かれています。
現在、雁木の石は崩れてしまっていますが、苔生した石材の景色は風情があります。
雁木が築かれているとは近世城郭の面影を感じる事ができ、江戸時代に改修されたと頷けます。
堀切
主郭の南側には堀切が築かれています。
堀切は深さは10m以上、幅も10m以上あると思われます。
主郭からのぞき込むと切り立っていて怖い位です。
主郭に面する堀切だけあって黒川城で最も規模が大きく迫力があります。
主郭南側の堀切は見どころです。
ちなみに更に南側の尾根にも堀切が築かれています。黒川氏城ほんとに広いです。
北虎口
主郭北側にも虎口が築かれています。
土塁の切れ間に虎口跡があり、虎口両側に石垣が少し残されています。
虎口の先は右に折れていて、小さな曲輪が築かれています。
まとめ
黒川氏城は主郭の石段、横堀、南側の堀切、大手道の両側に築かれている曲輪跡など見どころが多数あります。
城域が広く一つひとつの規模が大きく、一領主が築く城郭としては大きすぎる印象を受けます。
秀吉の北伊勢攻めの際に築かれたとも言われているみたいです。
黒川氏城は遺構が良く残されているので、もっと有名になっても良い城郭です。
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