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【福井県・福井城】徳川家康の二男 結城秀康が築いた、越前の中心となるお城

お城

過去に訪れたお城を紹介します。

福井県福井市の福井城です。

1575年に織田信長の重臣、柴田勝家が北ノ庄城を築いた事に始まります。

その後、柴田勝家は羽柴秀吉と対立し、賤ヶ岳の戦いに敗れると、お城は焼失し自刃します。

1600年に徳川家康の二男である、結城秀康が入封し翌年から北ノ庄城を元に築城します。

日本全国の大名を動員した、天下普請で築かれ名城が完成します。

現在では、本丸の石垣、水堀、天守台や福井の地名の元となった「福の井」が残されています。

福井城

所在地:福井県福井市大手

城 主:結城氏、松平氏

続日本100名城スタンプ場所:福井県庁一階受付(開庁日の8:30~17:15)

福井城の北に福井市立郷土歴史博物館があるので、博物館を利用してこちらの駐車場に車を駐めるのが良いかと思います。

博物館には福井の歴史はもちろん、福井城の模型もあるので必見です。

舎人門・とねりもん

博物館に隣接して舎人門が復元されています。

福井城の外堀に設けられていた高麗門で、屋根瓦が越前赤瓦を使用しているのが特徴的です。

両脇にある石垣も、打込接ぎの布積みできれいです。ここは見落としがちなので、要チェックです。

本丸南東の石垣と堀

現在の福井城は本丸を残すのみです。

本丸を水堀が取り囲んでいます。堀幅がとても広いです。

本丸は全周高石垣が築かれていて圧巻です。

本丸南西の石垣・はらみ

本丸南西の石垣の一部に「はらみ」らしきものが見受けられます。

石垣の圧力、歪みや樹木の根の影響により、石垣が膨らんでしまう現象です。

状態がひどくなると崩れてしまう可能性があるので、修繕が必要ですね。

御廊下橋

本丸西側には御廊下橋が復元されています。

本丸と三の丸に架かり、藩主が渡る格式高い橋です。

明治時代まで残っていたものを、忠実に復元しています。福井城にある貴重な建造物の一つです。

橋を渡った先には山里口御門が復元されています。

2018年に復元された櫓門ですが、私が訪れたのは2018年以前なので、復元されていませんでした。

また、来訪した時に見学したいです。

結城秀康像

現在本丸には福井県庁があります。

広大な堀と石垣に囲まれた中にあるので、防御力の高い県庁です。

また、本丸には結城秀康の像があります。

結城秀康は徳川家康の二男です。家康長男の信康が切腹した為、家康の跡を継ぐと思われていました。しかし、小牧長久手の戦いの和睦の証しとして秀吉の元へ養子に出されてしまいます。

さらに、関東の大名 結城氏へ養子に出されてしまい、家康の後継者は三男である秀忠に決まります。

結城秀康は武勇に優れた聡明な人物でしたが、不運としか云えないですね。

天守台

本丸の北西には天守台が残されています。

天守台の石垣は、一つひとつの石が大きく、切込接ぎの布積みで隙間無く積まれています。

石の表面を専用用具で叩き綺麗にする、「はつり」の化粧がしてあるような感じもします。

この天守台の上には四重五階の天守が建てられていました。

天守のみで高さが28mもある、壮大な天守でした。

しかし、1669年に焼失してしまいそれ以降は再建されませんでした。

福の井

天守台の横には福井県の名前の由来となった、福の井があります。

詳しい事は書かれておらず分かりませんが、この井戸が福井県の由来となったそうです。

北の庄城跡・柴田勝家像

福井城の500m程南に行った所には、北の庄城跡があります。

織田信長の重臣、柴田勝家が建てたお城です。

九層の壮大な天守が建てられていたとも云われていますが、賤ヶ岳の戦いの後に羽柴秀吉に攻められ天守は炎上し、柴田勝家は自刃します。

現在は柴田神社や柴田勝家の像があります。

水堀と石垣

福井城は現在本丸が残るのみですが、広大な水堀と天下普請で築かれた、綺麗な石垣があります。

近年では御廊下橋山里口御門が復元され、当時の姿が少しではありますが、垣間見る事が出来ます。

結城秀康や柴田勝家の生涯に浸る事も歴史ロマンがあり、お城巡りに良いと思います。

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