岩津城の駐車場や主郭、土橋、空堀などの見どころを紹介!

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お城

愛知県岡崎市にある岩津城。

1400年代初め頃に二代松平泰親、三代松平信光により築城され、松平宗家の居城となりました。

1506年には今川軍により岩津城が攻撃を受け、1571年には武田軍により攻撃を受け、一時廃城となります。

1584年に小牧長久手の戦いの際に徳川家康が改修したと云われています。

お城は矢作川東側の標高75mの丘陵に築かれ、現在はお城の北側が残されています。(南側は宅地として開発されている。)

現在でも、主郭跡や主郭に架かる土橋と空堀、南側の馬出、土塁などが残され見どころとなっています。

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岩津城・基本情報、アクセス

所在地:〒444‐2144 愛知県岡崎市岩津町東山

城主:松平氏

形式:平山城

文化財史跡:市指定史跡

日本100名城スタンプ:該当なし

岩津城・駐車場

岩津天満宮 駐車場

岩津城に専用の駐車場はありません。

付近にある岩津天満宮の駐車場をお借りすると良いでしょう。

トイレは岩津天満宮の境内にあります。

岩津城・縄張り図

岩津城の縄張り図(現地案内板より)

岩津城は矢作川の東側の標高75m、比高50m程の丘陵地に築かれています。

丘陵の頂部に主郭を配置し、南側に馬出を持った曲輪があり、主郭とは空堀で隔てられていて土橋で接続されています。

現在は城跡の南側は住宅地となっていて消失していますが、当時は曲輪があったと思われます。

岩津城・登城口

岩津城の登城口にある案内板(この先戦国時代の看板が面白い)

岩津城の南側に登城口があります。

登城口には岩津城の縄張り図が掲載されている案内板があるので、分かり易いです。

登城口から主郭までは歩いて5~10分程です。

岩津城・南曲輪

空堀

南曲輪西側の空堀跡

南曲輪の西側には空堀跡があります。

空堀跡には二列の竹が並べられていて、地元の方が城跡の伐採した竹や木を運ぶためのトロッコ軌道が敷設されています。

近代に改変されているかも知れませんが、空堀は大きい規模となっています。

虎口跡

南曲輪の西側の虎口跡

空堀の先には南曲輪西側の虎口跡があります。

虎口には空堀に挟まれた土橋があり、主郭側から横矢が掛けられるようになっています。

馬出

南曲輪の西側の馬出

南曲輪の西側には小規模な馬出があります。

馬出は南曲輪西側の虎口に隣接する形で築かれ、虎口に近づく敵を迎撃できるようになっています。

現在は馬出の土塁が高さ1~2m程残されています。

南曲輪と土塁

南曲輪内部の様子

主郭の南側に曲輪があります。

曲輪は主郭より一回り程小さく、南側の外周部には高さ1~2m程の土塁が残されています。

曲輪の南側には櫓台があり、南側から迫る敵に備えていたと思われます。

南曲輪の外周部にコの字型の土塁は良好に残されていて見どころです。

岩津城・主郭

土橋

主郭南側の虎口に架かる土橋と空堀

主郭の南側には虎口があり、空堀に挟まれた土橋が残されています。

土橋の両側は深い空堀が築かれていて、中世の城郭らしく真っすぐな平虎口と云われる形式となっています。

主郭虎口の土橋は良好に残されていて見どころです。

空堀

南曲輪から見た土橋と空堀

土橋の両側には空堀が築かれています。

空堀は深さが5~6m、幅が20m程はあるかと思われ大規模となっています。

住宅街にこれだけの大規模で迫力ある空堀と土橋が残されているとは驚きです。

土塁

主郭南虎口の土塁

主郭南側の虎口には土塁が残されています。

土塁は高さが1~2m程で現在は緩やかな傾斜となっていますが、当時はもっと鋭く高かったと思われます。

主郭内部

主郭内部に設置されている案内板

主郭は岩津城で最も広い曲輪となっていて、南側と西側に虎口が築かれています。

現在は岩津城の説明が書かれた用紙や写真が掲載されている、ちょっとした台が設置されています。

主郭の土塁上に立つ石碑

主郭虎口横の土塁上には岩津城の石碑が設置されています。

岩津城は松平氏の居城として中世の城郭の遺構が良好に残されていて、良いお城です。

まとめ

主郭側から見た南側の虎口の土橋

【岩津城の見どころ】

主郭の南側虎口に架かる土橋と深く幅広い空堀

南曲輪の外周部に築かれたコの字型の土塁

ウェブサイト:岩津城

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