上原城の駐車場や見どころを紹介!

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お城

長野県茅野市にある上原城。

1466年頃に諏訪惣領家当主の信満が館を構えた事に始まると云われています。

その後、諏訪氏は5代70年余に渡り諏訪地方を統治しましたが、1542年 頼重の時に甲斐の武田晴信(信玄)により攻め滅ぼされてしまいます。

上原城は諏訪地方の統治と信濃攻略の拠点として武田氏の城として機能しますが、1582年に武田氏が滅亡すると廃城となります。

現在でも標高978mの金毘羅山頂の城跡があり、主郭跡や堀切、竪堀、物見石が残され見どころとなっています。

また、中腹には諏訪氏館(板垣平)も残され県の史跡に指定されています。

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上原城・基本情報、アクセス

所在地:〒391-0001 長野県茅野市ちの

城 主:上原氏、武田氏

形 式:山城

文化財史跡:県指定史跡

日本100名城スタンプ:該当なし

上原城・駐車場

上原城跡駐車場

上原城の北東側に「上原城跡駐車場」があります。

3~4台程停められる無料駐車場です。トイレはないので注意が必要です。

中腹にある上原城諏訪氏館跡にも駐車スペースがあります。

上原城・縄張り図

上原城の縄張り図(現地案内板より)

上原城は標高978m金毘羅山頂にあり、頂部から主郭、二の郭、三の郭と築かれています。

主郭の背後には堀切が築かれ、はなれ山といわれる場所があります。

山腹には武田氏の家臣である板垣信方の館が築かれた板垣平があります。

上原城・諏訪氏館(板垣平)

諏訪氏館跡に立つ石碑

上原城の西側山腹には諏訪氏館跡があります。

1542年に諏訪頼重が武田晴信(信玄)により滅ぼされた跡に、諏訪郡代となった板垣信方の館が山腹に築かれました。

1582年頃まで機能していましたが、現在は石碑や説明板が建っています。

上原城・はなれ山

登城口

駐車場横の登城口

駐車場のすぐ横に上原城の登城口があります。

こちらの登城口は主郭の背後から行く道なので、主郭まではほとんど高低差はありません。

登城口から主郭までは5分程で行くことが出来ます。

竪堀

二重に築かれた主郭背後の竪堀

登城口から主郭に行く途中に二重竪堀が左手に見えて来ます。

竪堀は深さが1m程で二重に築かれていて、斜面を落ちて行っている様子が良く分かります。

主郭とはなれ山の間に築かれている二重竪堀は、遺構が良く残っていて見どころです。

堀切

主郭とはなれ山の間に築かれている堀切

主郭とはなれ山の間には堀切が築かれています。

堀切は主郭の背後から迫る敵を防ぐ為に築かれていて、深さは10m、幅は30m以上あり大きいものとなっています。

主郭とはなれ山の間に築かれている堀切は大規模で迫力があり、見どころです。

上原城・三の郭

三の郭に建立されてる金毘羅神社

上原城の西側に三の郭があります。

三の郭は山頂部に築かれている上原城の一番西側にある郭で、現在は金毘羅神社が建立されています。

金毘羅神社の鳥居からは麓の町を一望でき、景観が良いです。

上原城・二の郭

物見石

金毘羅神社の背後にある物見石

主郭と三の郭の間に二の郭があります。

二の郭には物見石と呼ばれる大きな岩があり、城が機能していた時にはここで城下の様子を見ていたと思われます。

物見石の他には上原城の説明板も立てられています。

上原城・主郭

主郭に立つ説明板

山頂部に上原城の主郭があります。

主郭は東西20m、南北30m程の広さで三方を土塁が巡らされ、南西部に虎口跡があります。

背後に水の手があり、北西下の沢水も利用されていたようです。

まとめ

はなれ山から見た堀切

【上原城の見どころ】

主郭とはなれ山の間に築かれている深さ10m、幅30m程の大規模な堀切

主郭とはなれ山の間に築かれている遺構が良く残されている二重竪堀

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