箕輪城の駐車場や御城印、見どころ

スポンサーリンク
お城

群馬県高崎市にある箕輪城(みのわじょう)。

1512年に長野業尚により、榛名白川によって削られた河岸段丘上に築かれた平山城です。

戦国時代、長野業正が城主となると六度に渡り武田家が侵攻しますが、全て撃退し長野家の全盛期を築きます。

1561年に長野業正が没し、子の業盛が跡を継ぎますが、武田家の侵攻により1566年に箕輪城は落城し、業盛が自刃します。

以後、武田氏、織田氏、北条氏と目まぐるしく城主が変わります。

1590年に徳川家康が関東に移封されると井伊直政が12万石で入城し、城を改修します。

1598年に井伊直政は高崎城に移ると、箕輪城は廃城となります。

現在でも、本丸、二の丸、三の丸等の郭跡があり、郭馬出に郭馬出西虎口門や本丸と蔵屋敷の間に木橋が復元され見どころとなっています。

また、本丸、二の丸、三の丸、郭馬出の郭の間に築かれた大堀切や三の丸、鍛冶曲輪の石垣が残され、見どころです。

スポンサーリンク

箕輪城・基本情報、アクセス

所在地:〒370-3106 群馬県高崎市箕郷町東明屋

城 主:長野業正、内藤正月、滝川一益、北条氏邦、井伊直政など

形 式:平山城・梯郭式

文化財史跡:国指定史跡

日本100名城スタンプ:高崎市箕郷支所、高崎市箕郷公民館

箕輪城・駐車場

史跡箕輪城跡駐車場

箕輪城の東側に「史跡箕輪城跡駐車場」があります。

78台停められる大きな無料駐車場です。トイレも完備しています。

また、西側には虎韜門口駐車場もあります。

箕輪城・日本100名城スタンプ

高崎市箕郷支所

箕輪城から南に1.5㎞の所にある「高崎市箕郷支所」に、日本100名城のスタンプが設置されています。

休日は建物をぐるっと回った北側の入口に設置されています。箕輪城の旗が目印です。

窓口では箕輪城のパンフレットも貰う事ができます。

【高崎市箕郷支所】

所在地:〒370-3105 群馬県高崎市箕郷町西明屋702-4

営業時間:8:30~17:15

休業日:土曜日、日曜日(※日本100名城のスタンプは北側の窓口で押印可能)

箕輪城・御城印

日曜日に史跡箕輪城跡駐車場で御城印が販売されます。

 箕輪城 御城印 1枚300円

箕輪城の御城印が販売されています。

日曜日に「史跡箕輪城跡駐車場」で「箕輪城ふれあい市」が開かれており、ここで御城印が販売されています。

色々種類がありますが、オートドックスな御城印は1枚300円で購入する事ができます。

※「箕輪城ふれあい市」は基本日曜日に開催されますが、日程が変更になる場合もあるので、下記のツイッターを要チェックです。

箕輪城ふれあい市ツイッター:https://twitter.com/fureaiichi

箕輪城・縄張り図

箕輪城縄張り図(現地案内板より)

箕輪城は榛名山の東南に延びる独立丘陵に築かれています。

西側には榛名白川、南側には椿名沼の湿地帯が広がる自然の要害を利用した城です。

本丸を中心に南側に二の丸、南西に三の丸、鍛冶曲輪、北側に御前曲輪、北東に稲荷曲輪など多数の郭が築かれています。

本丸の外周部の空堀、二の丸、三の丸の南側には巨大な大堀切が築かれ箕輪城を南北分断しています。

箕輪城・木俣

木俣に立つ石碑と説明板

搦手口から登って行くと木俣(曲輪)があります。

木俣は家臣団の屋敷があったとされる曲輪で、発掘調査により柱穴が並んだ跡が見つかり、3棟の掘立柱建物があったと考えられています。

曲輪の南側は視界が開けていて、箕郷の町並みが広がっています。

箕輪城・郭馬出

空堀

郭馬出の南側の空堀

郭馬出の周りには空堀が築かれています。

空堀は深さが8~9m、幅は15m程はあるかと思われ、とにかく巨大で圧倒されます。

郭馬出の西側にぐるっと回って櫓門のある土橋へと行くのですが、郭馬出から横矢が掛かるようになっていて、厳重です。

郭馬出西虎口門

2016年に復元された郭馬出西虎口門

郭馬出の西側虎口には櫓門が復元されています。

礎石の配置から2階建ての櫓門と推定され、屋根は瓦葺きではなく板葺きとされ、中世の城門として復元されています。

郭馬出西虎口門は幅5.7m、奥行き3.4mと箕輪城で最大規模となっていて、見どころです。

前面に石落としが設けられている郭馬出西虎口門

郭馬出は50m×30m程の広さの郭で、本丸に向かう際に大手口である南側の2つのルートが1つに集約される重要な郭です。

城内最大の門や巨大な空堀が築かれている事が納得できます。

実際に郭馬出の空堀の周りを歩いて櫓門を見上げると、非常に堅固な場所という事を体感します。

大堀切

郭馬出の西側、三の丸の南側に築かれた巨大な大堀切

二の丸、三の丸と郭馬出の間には大堀切が築かれています。

大堀切は深さ9m、幅30mの大きさで、250m以上に渡り築かれていて、箕輪城を南北に分断しています。

南北に分断する事で一城別郭の城となり、一方が落とされても、もう片方でも戦闘を行う事ができる仕組みとなっています。

当時の大堀切は更に7m程深かったと考えられ、圧倒的な大堀切は見どころです。

土橋

郭馬出と二の丸を繋ぐ土橋(石垣付き)

郭馬出には二の丸へ渡る土橋が築かれています。

土橋は大堀切を渡る為の土で造られた橋で、南西側の下部には石垣が築かれています。

当時の石垣は地面に埋まっており、現在見えているものは復元した石垣になります。

箕輪城・二の丸

郭内部

二の丸に立つ石碑と説明板

郭馬出の北側に二の丸があります。

二の丸は縦横各80m程の広さがある郭で、北側には本丸、東側は搦手口、西は白川口、南は郭馬出と四方へつながる重要な郭となっています。

現在は四阿やバイオトイレ(ウッドチップが使用されたトイレ)があります。

大堀切

二の丸南側の大堀切

二の丸の南側にも大堀切が築かれています。

土橋を中央に東西に貫かれている大堀切は圧巻で、これほど大きな堀だとは思っていなくて驚かせられます。

箕輪城・三の丸

郭内部

三の丸に立つ石碑

二の丸の西側に三の丸があります。

三の丸は発掘調査により長野氏、武田氏の時期、北条氏の時期、井伊氏の時期と三つの変遷がありました。

長野氏、武田氏の時は屋敷地、北条氏の時は鍛冶曲輪、井伊氏の時では南西側に盛り土をして石垣が築かれました。

門跡と石垣

三の丸門跡と石垣

三の丸の南側には門跡があります。

門跡には石垣が積まれていて、当時は石垣の上に櫓が渡されていて、櫓の下に門があったと考えられています。

三の丸の門跡は通路や石垣が良好に残されていて、見どころです。

石垣

三の丸の井伊氏時代に築かれた河原石を使用した野面積みの石垣

三の丸には石垣が残されています。

石垣は高さが2~3m程あり、井伊氏時代に積まれたものとなっています。

発掘調査により地面から1.3m程の高さの石垣が埋まっていることも確認され、当時は4m程の高さがあった事が判明しています。

三の丸の石垣は箕輪城で最大級の高さの石垣で迫力があり、見どころです。

箕輪城・鍛冶曲輪

石垣

鍛冶曲輪の石垣

三の丸の西側には鍛冶曲輪があります。

鍛冶曲輪では武具などの制作や修理が行われた曲輪で、石垣も残されています。

こちらの石垣も野面積みで隅部は算木積みではなく、石垣の過渡期となっています。

虎韜門跡

虎韜門跡の石垣

鍛冶曲輪の南側には虎韜門跡があります。

古代中国の太公望(呂尚)が書いた兵法書「六韜三略」の虎韜の巻から、井伊直政が虎韜門と名付けたと云われています。

現在は2~3段の石垣があり、当時はこの南側に馬出があったとされています。

箕輪城・本丸

虎口跡

本丸虎口跡

本丸の南東側に虎口跡があります。

虎口は両側に土塁が築かれていて、左側には空堀が築かれています。

虎口の手前には本丸門馬出が築かれていて、厳重な防備となっています。

郭内部

本丸に立つ石碑と説明板

本丸は箕輪城の中心部にあり、南北100m、東西70m程ある大きな曲輪です。

本丸には箕輪城の石碑や説明板が設置されていて、綺麗に整備されている印象を受けます。

土塁

本丸の外周部の土塁

本丸の外周部には土塁が築かれています。

土塁は高さが1~2m程ですが、当時はもっと高かったと思われ、強固な防備となっていた事でしょう。

木橋

本丸と蔵屋敷の間に復元された木橋

本丸の西側には木橋が復元されています。

発掘調査により堀底から橋脚の礎石が2つ確認され、当時は橋が架けられていた事が判明しています。

堀底から見上げる木橋

木橋の大きさは長さ28.92m、幅2.4m、高さ6mと大規模なものとなっています。

本丸と蔵屋敷の巨大な空堀の堀底から見上げる木橋は迫力があり、見どころです。

蔵屋敷の南側に堀底に降りられる場所があります。

空堀

本丸と御前曲輪の間の空堀

本丸と御前曲輪の間にも空堀が築かれています。

空堀の深さは3~4m、幅は10m程はあるかと思われ、良好に残されています。

空堀は東側が浅く、西側が深くなっており、当時は本丸西側の堀底に降りられるようになっていました。

箕輪城・御前曲輪

御前曲輪に立つ石碑と説明板

本丸の北側に御前曲輪があります。

御前曲輪は本丸の詰にあたり、城の精神的な場所であったとされ、南西側には櫓が築かれていたとされています。

長野業盛が落城の際、御前曲輪の持仏堂で自刃したと伝えらています。

まとめ

郭馬出に復元された郭馬出西虎口門と土橋

箕輪城は郭馬出の郭馬出西虎口門や二の丸、三の丸南側の大堀切、三の丸の石垣、本丸と蔵屋敷の間に復元された木橋などが見どころです。

箕輪城は城域が広く、堀切や空堀などの規模が巨大で圧倒されます。

長野氏、武田氏、北条氏、井伊氏など時代による城郭の変遷を感じる事もできるので、見どころの多いお城となっています。

箕輪城ウェブサイト:高崎市箕輪城跡(観光情報)

群馬県のオススメのお城:沼田城名胡桃城金山城

コメント

タイトルとURLをコピーしました