三重県度会郡にある田丸城。
南北朝時代に南朝方の北畠親房が築城した事に始まります。
戦国時代には織田信長の次男である織田信雄が城主となり、田丸城を改修しました。
この時に三重の天守が建てられ近世城郭として整備されました。
1584年に松ヶ島城主となった蒲生氏郷の支配する所となり、江戸時代初期に稲葉道通が入城し田丸藩となりました。
1619年には紀伊徳川家の付家老の久野氏が城主となり、幕末まで続きました。
現在では石垣で主要部の曲輪が残されていて、特に天守台や本丸の石垣が良好に残されていて見どころです。
田丸城・基本情報、アクセス
所在地:〒519-0415 三重県度会郡玉城町田丸
城 主:織田氏、田丸氏、稲葉氏、久野氏
形 式:平山城
文化財史跡:県指定史跡
続日本100名城スタンプ場所:玉城町教育委員会窓口(村山龍平記念館内)
田丸城・駐車場
田丸城の東側に田丸町役場があるので、こちらの駐車場を利用すると良いでしょう。
無料で役場と兼用ですが、50台ほど駐められる駐車場です。
田丸城・御城印
田丸城 御城印 1枚300円
田丸城の御城印が販売されています。
村山龍平記念館で1枚300円で購入する事が出来ます。続日本100名城のスタンプもこちらに設置されています。
村山龍平記念館では朝日新聞を創始した村山龍平に関する展示や田丸城の歴史やジオラマも展示されtれいるので、必見です。
【村山龍平記念館】
所在地:〒519-0415 三重県度会郡玉城町田丸114-1
開館時間:9:00~17:00(土曜、日曜、祝日は16:30まで開館)
入館料:無料
休館日:年末年始
ウェブサイト:村山龍平記念館|玉城町
田丸城・縄張り図
田丸城は標高60m程の田辺丘陵に築かれた平山城で、城下には伊勢本街道、熊野街道が交通の要衝に築かれています。
丘陵部の西側に北之丸、本丸、二之丸が直線状に築かれ、東側に大手門、二の門、本丸虎口があり全て桝形虎口で屈曲する厳重なものとなっています。
田丸城の主要部は外堀で囲まれていて、西側は崖地、三つの郭間は大きな堀切で区切られています。
田丸城・大手口
大手門跡
田丸城の東が大手道で大手門跡があります。
現在でも石垣が一部残されていて、当時は右に折れ曲がっていたようです。
大手門の手前は外堀があり、防御力を高めています。
大手門跡を渡ると田丸町役場があります。
道路を挟んだ反対川には村山龍平記念館があり、スタンプもあります。
石垣が段々と積まれていて、立派なお城です。
奥書院(町指定有形文化財)
村山龍平記念館の隣には奥書院があります。
奥書院は江戸時代初期の城主久野宗俊の時に建てられた、三の丸御殿の一部を復元したものになります。
明治時代に廃城した際に農家へ払い下げられ、住宅として利用されていましたが、1990年に玉城町が譲り受け、現在の場所に移築復元されました。
奥書院は田丸城の貴重な城郭建築物で見どころです。
水堀
登城口の二の門跡の手前には、水堀があります。
水堀奥の石垣もしっかりと積まれていて、大手口は厳重な防御施設が施されています。
二の門跡
水堀の横には二の門跡があります。
石垣で虎口が形成されていて、道が左、右へと曲げられています。
側面攻撃が出来るな工夫がされています。
当時は門が設置されていたでしょうから、防御力の高い虎口ですね。
田丸城・北の丸
冨士見門(町指定有形文化財)
二の門を通り少し歩くと、冨士見門があります。
冨士見門は三の丸から二の丸富士見台に行く所にあった門で、明治期に他所へ移築されていました。
昭和59年に町が譲り受け、この場所に移築復元しました。
冨士見門は江戸中期の、田丸城の貴重な現存の建築物です。
堀と石垣①
田丸城の北には北の丸があり、堀で本丸と隔てられています。
本丸北側の石垣は2段になって積まれているので、かなりの高さがあり迫力があります。
北の丸内部
田丸城の北側に北の丸があります。
本丸の北側にある北の丸は本丸と同等の広さをもつ郭で、田丸城の主要な郭となっています。
堀と石垣
北の丸と本丸の間(東側)にも空堀が築かれています。
深さ7mの空堀を見ると、北の丸と本丸側の壮大な石垣が築かれている様子を見る事が出来ます。
宝暦年間の田丸城郭古図を基に発掘調査を行いましたが、根石の確認が出来なかった為、野面積みで修復されました。
田丸城・本丸
本丸虎口跡①
二の門跡から登って来ると、本丸虎口跡があります。
丸亀城のように、段々に石垣が積まれていることが分かります。また、道が幾度も折れていることで、防御力が高められています。
平成14年度の発掘調査により門や建物の礎石、石組の側溝、石列、瓦などが発見され、江戸時代のものと考えられています。
石垣(東側)
北の丸から見た本丸東側の石垣です。
本丸は全て石垣で郭が形成されているので、重厚感があります。
本丸虎口跡②
本丸虎口跡を登って行くと本丸の直前の虎口跡があります。
平成15年度の発掘調査により門の礎石や石段が確認され、間口6.2m、奥行き2.6mの門が17世紀頃に建てられていたと考えられています。
何度も折れ曲がり桝形を形成し、横矢掛かりを意識した厳重な本丸虎口跡は見どころです。
天守台
本丸は田丸城の中でも、かなり大きな曲輪になっています。
本丸北側に高さ4m程の天守台が残されています。
変わった形の天守台で、織田信雄が城主となった時に三層の天守が建てられました。
しかし、火災により焼失してしまい、以後天守は築かれませんでした。
天守台を見てみると、穴蔵が設けられていた事が分かります。
天守台は東西17m、南北18m程の大きさで、南側には付櫓が付属していたと推定されています。
本丸北側に残る天守台は織田信雄が城主だった遺構で、当時を想像させる石垣は見どころです。
天守台は田丸城の一番高所にあるので、景色が良いです。
標高819mの白猪山や畑、田んぼが広がっていてのどかで良い景色です。
田丸城の西側は絶壁になっているので、後ろ堅固なお城です。そのため、大手である東側の防御が徹底されています。
櫓跡の石垣(西側)
本丸西側の櫓跡の石垣は一部が張り出してして、迫力があります。
野面積みですが、角部は反りが無く一直線で積まれていて、とても綺麗に積まれています。
本丸西側の櫓跡の石垣は高く迫力があり、見どころとなっています。
田丸城・二の丸
二の丸虎口跡
二の丸の北東側には虎口跡があります。
虎口の両側には高い石垣が築かれていて、奥に進むと右に折れている内桝形のような形となり、富士見台跡があります。
平成10年に修復工事を行っており、その際に栗石の奥にも前の時代の石垣が見つかっています。
搦め手門跡
二の丸の南側には搦め手門跡があります。
平成12年度の遊歩道整備の際に門の礎石や石組の側溝、石段、軒丸瓦などが見つかっています。
搦め手門は普段の登下城や物資の搬入が行われていたと云われています。
堀と石垣
本丸の南には二の丸があり、堀で仕切られています。
本丸南側の石垣は堀底から見ると、かなりの高さがあります。
堀底に降りて本丸の西側に回りこむ事ができます。
まとめ
【田丸城の見どころ】
・本丸北側に残る織田信雄時代の三層の天守が建っていた天守台
・本丸東側の何度も折れ曲がり、桝形を形成していて厳重な本丸虎口跡
・本丸西側の櫓跡の反りの無い真っ直ぐな石垣
・村山龍平記念館の隣に移築されている、江戸時代の三の丸御殿の一部である奥書院
・北の丸跡に移築されている江戸時代の貴重な富士見門
ウェブサイト:田丸城跡|見どころ|玉城町
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