京都府亀岡市にある亀山城(丹波亀山城)。
1578年に織田信長の命を受けた明智光秀が、丹波を攻略する為に築城しました。
1582年に明智光秀は亀山城から織田信長の居る本能寺へ向けて出陣し信長を討ちますが、備中高松城から引き返してきた羽柴秀吉と山崎で戦い討ち死にします。
1609年、天下人となった徳川家康は譜代大名である岡部長盛を亀山城主としました。
亀山城は天下普請により大改修が行われ、藤堂高虎が縄張りを行い、1610年には五重の層塔型天守が建てられました。
1748年以降は形原松平氏が城主となり。1877年に明治新政府により廃城処分となります。
現在城跡は、宗教法人大本の敷地内となっており、見学料を払うと見学ができます。
本丸の高石垣や内堀、本丸虎口跡、井戸などが残され見どころとなっています。
亀山城・基本情報、アクセス
所在地:〒621‐0851 京都府亀岡市荒塚町内丸1
城 主:明智氏、羽柴氏、石田氏、岡部氏、形原松平氏
形 式:平山城
文化財史跡:ー
日本100名城スタンプ:該当なし
亀山城・駐車場
亀山城(大本みろく会館)の西側に「大本参拝者駐車場」があります。
80台程停められる無料駐車場で参拝者、亀山城見学の人が利用する事ができます。
亀山城・御城印
丹波亀山城 御城印 1枚300円
亀山城の御城印が販売されています。
大本みろく会館の受付で1枚300円で購入する事ができます。
亀岡市文化資料館
亀山城から北東200m程の所に「亀岡市文化博物館」があります。
亀山城の城郭模型や亀岡の歴史、明智光秀の書状などが展示されているので、亀山城を訪れたら見ておきたい場所です。
5台程の小さな駐車場もあります。
【亀岡市文化博物館】
亀山城・二の丸
外堀
亀山城の北側には外堀が築かれています。
現在の外堀の幅は20~40m、長さは400m程あり、大きな水堀となっています。
当時は有事の際、保津川を堰き止めると一帯の水田が水堀となるようになっていたと云われています。
保津門跡
外堀の東側には保津門跡があります。
亀山城内から城外へ出るための門が5ヶ所あり、保津門は北側に出るための門でした。
現在は遺構はなく跡のみとなっています。
千貫櫓の石垣
保津門の南側には千貫櫓跡があります。
石垣が積まれていますが当時のままかどうかは不明で、千貫櫓があったと伝えられています。
極楽橋跡
本丸の外周部に二の丸があります。
現在立ち入ることが出来るのは東側で、当時は本丸と二の丸の間の堀には極楽橋が架けられていました。
本丸と二の丸側の石垣は積み直されたのもですが、石材に◇や卍の刻印が残されていて、1610年に天下普請による大改修が行われた時のものかも知れません。
亀山城・本丸
内堀
本丸の南側には内堀が残されています。
内堀は幅が20m程あり、本丸側には積みなおされたものと思われますが石垣が築かれています。
石垣が築かれている内堀は正にお城の堀といった雰囲気があり、見どころです。
一の門
本丸の東側には一の門があります。
当時の一の門は桝形虎口となっていて、本丸下段への入口となっていました。
現在は石垣の間に簡易的な門が建てられていて、虎口の雰囲気は伝わって来ます。
高石垣
本丸の南側には高石垣が築かれています。
高石垣の高さは6~7m程あり、上部から2/3程は積み直したもので、当時の石垣は下側の1/3程残されているようです。
本丸の高石垣は積み直されたものですが、迫力があり見どころです。
当時は本丸上段の上に天守が築かれていました。
築城の名手である藤堂高虎が五層五階の層塔型の天守が建てられました。
天守の高さは25mと云われ石垣の高さも含めると31m程の高さになり、かなり存在感のあるものであったと想像されます。
井戸
本丸の南側には井戸があります。
江戸時代以前から残る井戸と云われ、城内の貴重な水源として利用されていたのかも知れません。
まとめ
亀山城は本丸の一部穴太積みの石垣が残されている高石垣や、本丸南側の内堀が見どころです。
この城から明智光秀が本能寺へ向けて出陣したと云われる歴史ある場所で、歴史好きの人にはたまらない城郭となっています。
ウェブサイト:丹波亀山城跡 亀岡市ホームページ
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