千早城のアクセスや曲輪跡、千早神社などの見どころを紹介!

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お城

大阪府南河内郡の千早城です。

鎌倉時代に楠木正成が金剛山に築いた山城で、自然の地形を生かした実戦抜きのお城です。

1333年に鎌倉幕府の大軍が千早城を取り囲むと、楠木正成は籠城し地の利を生かして石や木を落とし、徹底抗戦を行いました。

鎌倉幕府軍が攻めあぐねている間に、関東で新田義貞が挙兵し、鎌倉幕府を攻略した事により、千早城を攻めていた鎌倉幕府軍は撤退しました。

後醍醐天皇が自ら政務を執る「建武の新政」後は楠木正行、正儀、正勝が千早城主となりますが、1392年に畠山基国に攻められ落城します。

現在では曲輪跡や土塁跡が残り、千早神社が建立されています。

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千早城・基本情報、アクセス

所在地:〒585-0051 大阪府南河内郡千早赤坂村千早

城 主:楠木氏

形 式:山城

文化財史跡:国指定史跡

日本100名城スタンプ場所:金剛山麓「まつまさ」、千早城跡茶屋

千早城・駐車場

千早城の西にある金剛山麓「まつまさ」というレストランの駐車場があるので、こちらを利用すると良いでしょう。

有料ですが、20台ほど駐めることができ、お城のすぐ近くです。

千早城・登城道

林道

今回は表参道からではなく、裏道に当たる林道から千早城に向かいます。

林道は急な坂道になっていますが、千早城までの距離はそこまで遠くないので、軽装でも大丈夫です。

裏参道

林道の途中に裏参道があるので、千早城に行くにはこの道を登ります。

先ほどより細く急な道なので足下に注意しながら進みます。

四の丸への道

裏参道を登り切ると、四の丸と三の丸の間にある堀切に出ます。

写真では写っていませんが、堀切はかなり大きく圧巻です。

敵の侵入を防ぐ効果は抜群です。

先に四の丸へ向かいます。

千早城・四の丸

景色

四の丸からの眺望

四の丸の先端まで行くと、遠くの町まで景色を見ることができ、急峻な山にお城が築かれていることが分かります。

表参道はこちらの先にある階段を、600段ほど登るようです。

曲輪内部

四の丸

千早城の四の丸は比較的大きな曲輪です。

昔は茶屋があったようですが、現在では運営されていないようです。

四の丸

四の丸にはトタンで作られた鎧武者があります。

なかなかユーモアのあるモニュメントで面白いです。

四の丸の鳥居

四の丸奥には鳥居があります。千早神社の鳥居と思われます。

この先が四の丸と三の丸の堀切がある場所になります。

千早城・三の丸

石段

三の丸への石段

堀切を通過し、三の丸へと向かいます。

三の丸へは階段を登ります。それほど段数はないので安心です。

曲輪内部

千早神社の社務所がある三の丸

階段を登りきると三の丸になります。

三の丸には千早神社の社務所がありますが、四の丸より一回り小さな曲輪です。

奥に二の丸への階段があるので登ります。

千早城・二の丸

曲輪内部

正面には千早神社が見える二の丸

二の丸は三の丸と同じくらいの広さです。

石碑

千早城の石碑

二の丸には千早城の石碑があります。

南北朝時代に楠木正成が、この地で鎌倉幕府軍を迎え撃った事で、鎌倉幕府が攻略されるという歴史が大きく動いたと思うと感激します。

その後、足利尊氏が京都を抑え、ゆくゆくは室町幕府を創設し戦国時代に繋がって行きます。

足利尊氏の浮き沈みの激しさは驚きです。九州から巻き返し、湊川の戦いに勝利する 尋常ではありません。

千早神社

二の丸奥に建立されている千早神社

二の丸奥には千早神社があります。

千早神社は千早城が築城された時に八幡大菩薩を祀って、その後に楠木正成、楠木正行が合祀されました。

大軍に攻められても落ちなかったお城なので、御利益がありそうです。

神社の裏手は神域になっているので入る事ができません。

まとめ

レリーフ

千早城は南北朝時代、太平記の歴史ロマンを存分に感じる事ができます。

近くには上赤坂城、下赤坂城、千早赤坂村立郷土資料館があるので、こちらも見学するとより太平記の世界に浸る事ができます。

千早城ウェブサイト

 http://www.chihayaakasaka.org/spot/castle.html

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