京都府京都市伏見区にある伏見城。
1592年に豊臣秀吉が隠居後の住まいとする為に、指月伏見城を築城しました。
指月伏見城は1594年に秀吉が入城しますが、1596年の慶長伏見地震により倒壊してしまいます。
そのため、1597年に北東へ1㎞の木幡に木幡山伏見城を築城し、秀吉は入城しました。
秀吉の死後、関ヶ原の戦いの際には徳川家康の家臣である鳥居元忠が伏見城で籠城しますが、西軍に攻められ落城、焼失します。
1602年に徳川家康により再建されますが、1619年に廃城となります。
現在城跡は伏見桃山運動公園として整備され、「伏見桃山城キャッスルランド」が運営されていた時に建てられた模擬天守閣や模擬大手門が残されており、見どころです。
伏見城・基本情報、アクセス
所在地:〒612‐0853 京都府京都市伏見区桃山町大蔵45
城 主:豊臣秀吉、徳川家康
形 式:平山城、梯郭式
文化財史跡:ー
日本100名城スタンプ:該当なし
伏見城・駐車場
伏見城(模擬天守閣)の南側に「伏見桃山城運動公園 駐車場」があります。
180台程停められる大きな有料駐車場です。トイレは公園内にあります。
【伏見桃山城運動公園 駐車場】
営業時間:24時間営業・年中無休
料 金:30分100円・最大料金800円
伏見城・花畑跡
模擬大手門
伏見桃山城運動公園の入口には模擬大手門が建てられています。
1964年に遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」が建設された際に、鉄筋コンクリート造りで建てられた櫓門となっています。
模擬大手門の前には朱い欄干の橋もあり、中々見応えがあります。
模擬天守閣
大手門を潜り公園内に入ると目の前に天守閣が見えて来ます。
天守閣も大手門と同様にキャッスルランドが建設された際に建てられたもので、洛中洛外図に描かれた伏見城を参考に鉄筋コンクリートで建てられました。
史実に忠実ではありませんが、大天守閣と小天守閣が並び立つ光景は圧巻で見どころです。
大天守閣は5重6階の望楼型で、最上階には廻縁が設けられています。
入母屋破風や比翼千鳥破風、唐破風などがあり、全体的に赤い色が使われていて表情が豊かな外観となっています。
残念ながら天守閣は耐震基準を満たしていない為、内部に入ることはできません。
小天守閣は3重4階の望楼型で、こちらも最上階に廻縁が設けられています。
大天守閣と比べるとシンプルなデザインとなっていますが、それでも派手でインパクトのあるものとなっています。
樹霊碑
天守閣の前には樹霊碑があります。
「昭和の子規」と称えられた、引野収の平安の祈りが込められた歌が碑に刻まれています。
「永遠とおもえるながき時のなか 樫立てり黄なるあやぐもの果て」
伏見桃山陵
伏見城の石材
伏見桃山城運動公園の南側に伏見桃山陵があり、参道の途中に伏見城に利用されたと云われる石材があります。
石材は細長い四角柱の形となっていて、石を割る時にできる矢穴が残されています。
伏見城の数少ない貴重な遺構となっています。
明治天皇 伏見桃山陵
当時の伏見城の本丸跡は現在、伏見桃山陵となっています。
伏見桃山城運動公園とは打って変わって、大変厳かな雰囲気となっています。
御香宮神社
伏見城 大手門(重要文化財)
伏見桃山城運動公園から南西に1㎞の所にある、御香宮神社には伏見城の大手門が神社の表門として移築されています。
1605年に徳川家康が御香宮神社の本殿を造営した際に、伏見城の大手門を移築したと云われています。
御香宮神社の表門(伏見城の大手門)は伏見城の貴重な城郭建築物で見どころです。
大手門は本瓦葺きの切妻造りとなっていて、屋根には鯱が載せられています。
屋根の下には二十四孝を題材とした彫刻が施されていて、華やかな門となっています。
まとめ
伏見城は伏見桃山城運動公園内の模擬天守閣(大天守、小天守)や御香宮神社に移築現存している大手門が見どころです。
模擬天守閣ですが、5重6階の大天守と3重4階の小天守が並び立つ光景は壮観です。
伏見城の建築物は福山城の伏見櫓、明石城の坤櫓などにも移築され現存しているので、必見です。
ウェブサイト:伏見桃山城運動公園
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