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【茨城県・水戸城】藩校弘道館が残る、徳川御三家のお城

お城

過去に訪れたお城を紹介します。

茨城県水戸市の水戸城です。

戦国時代には佐竹氏が入城、近世城郭に改修しました。

佐竹氏が秋田に移封されてからは、徳川家康の11男、徳川頼房が入封しました。

石垣を使用せず、堀や土塁等で土造りの御三家のお城に相応しいよう改修されました。

現在では、水戸藩の藩校、弘道館が現存しています。

水戸城

所在地:茨城県水戸市三の丸

城 主:馬場氏、佐竹氏、徳川氏

日本100名城スタンプ場所:弘道館料金所窓口

弘道館の直ぐ横に駐車場がありますが、非常に小さく10台程しか駐車出来ません。

満車の場合は弘道館裏手に三の丸庁舎駐車場があります。

150台程駐車でき、3時間迄無料です。

正門(重要文化財)

料金所の前にこの正門が目に入ります。

1841年に弘道館と創設時に建てられました。

四脚門で、藩主の来訪時や儀式の時にのみ開かれました。

現在も閉められていて通る事は出来ません。

軒先瓦に葵の紋が入っているのが徳川御三家のお城という事を実感します。

弘道館玄関(重要文化財)

料金を払い敷地内に入ると、弘道館の正庁玄関が目の前に待ち構えています。

そもそも弘道館とは、1841年に水戸藩徳川斉昭の指示の元、藩校として建てられました。

藩士が学問(儒学、歴史、数学、地図、和歌等)と武術(剣術、槍術、兵学、鉄砲等)の様々な科目を学びました。

当時の正庁が残されており、国の重要文化財に指定されています

正庁内の小さな庭

正庁内部に入ると水戸藩の医師が書いた「尊攘」の書が飾られています。

尊皇攘夷ですね。天皇を敬い、夷狄を排する。

この弘道館が建てられた時代の日本では(幕末)、ペリーの来航を初め、様々な外国の脅威に晒されていました。

水戸藩では積極的に西洋の進んだ文明を取り入れ、外国の脅威から日本を守ろうと奔走していました。

水戸藩の気風を表しているような感じがします。

対試場と正庁

対試場から見た、正庁です。

ここから見る正庁が格好良いですね。

対試場では、武術の試験等が行われました。

藩主は正庁正席の間から様子を見ていたようです。

弘道館には孔子廟や、八卦堂等見所がたくさんあります。ゆっくり見学すると良いと思います。

弘道館から出て大手橋へ向かいます。

大手橋

弘道館を出て正面に大手橋があります。

私が訪れた時は工事中で、現在は大手門が復元されています。

かなり大きな櫓門で写真で見ても迫力がありますね。実際に見てみたいです。

また、二ノ丸角櫓も現在復元工事中です。こちらも完成するのを期待しています。

大手門を通過し、二ノ丸資料館先の脇道を進んで行くと見晴らし台があります。

見晴らし台からの景色

見晴らし台からは那珂川が見えます。

那珂川を天然の堀としているのですね。

水戸城の特徴として二ノ丸を中心として築城されている所が上げられます。

普通は本丸が中心ですね。

水戸城の天守代わりの三階櫓は二ノ丸に築かれていました。

残念ながら1945年の空襲により焼失してしまいました。

杉山門

見晴らし台の脇道から戻った所のそばに杉山門があります。

杉山門は二ノ丸の北口の門です。

当時この周辺は、杉林になっていたようです。

二代藩主の水戸光圀が紀州産の杉を取り寄せ植えたと伝えられています。

杉山門を通り抜けると堀跡が見えてきます。

本丸と二ノ丸を隔てる内堀

本丸と二ノ丸を隔てる内堀です。

現在は堀底が拡張され線路になっていますが、かなり大きな堀です。

これだけ大きな堀だと敵は近付く事が出来ないですね。

さらに先に進むと薬医門があります。

薬医門(有形文化財)

薬医門は水戸城で唯一現存している建築物です。

佐竹氏の時代に建築され、徳川氏に引き継がれたと推測されています。

門の大きさからして、本丸の表門として設置されていたと考えられています。

屋根の大きさに圧倒されます。

偕楽園 表門

水戸城から2㎞ほど離れた所には、日本三名園の一つの偕楽園があります

偕楽園は梅の名所で、早春には3000本の梅が満開になっています。

広大な園内には好文亭という建物があり、様々な四季が描かれた襖がとても綺麗です。

好文亭

水戸城は徳川御三家に相応しく、大規模な門や空堀があります。

日本三名園の偕楽園や、藩校の弘道館があり文武両道の威厳のあるお城でした。

梅の咲く時期に散策するのがオススメです。

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