愛知県安城市にある山崎城(別名:岡の城、大岡城)。
1543年に織田家と親密であった三木松平氏の信孝が築城しました。
1548年に松平信孝は今川氏の支配下であった松平広忠の岡崎城攻めの為出陣しますが、討ち死にしてしまいます。
1549年に今川氏は織田氏の支配下であった安祥城を攻略すると、山崎城は廃城となりました。
1585年の小牧長久手の戦いの際に徳川氏は羽柴勢に備えるために山崎城を改修したとも云われています。
現在でも本丸跡や本丸北側の空堀や土塁が残され見どころとなっています。
山崎城・基本情報、アクセス
所在地:〒446‐0016 愛知県安城市山崎町城跡
城 主:三木松平氏
形 式:平城
文化財史跡:市指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
山崎城・駐車場
山崎城の西側に山崎神明社遊園の駐車場があります。
5~6台程停められる広さの無料駐車場です。
山崎城・縄張り図
山崎城は碧海台地の東側に位置していて、北側は谷地形、東側は沖積地に面しています。
本丸は方形で外周部には土塁と空堀が築かれています。
本丸の西、北、東側には帯曲輪があり、特に西側の帯曲輪は土塁と堀が築かれ強固な縄張りとなっています。
山崎城・本丸
空堀
本丸の北側には空堀が残されています。
空堀は深さが2m、幅は13m、長さは13m程あり、かなり大きなものとなっています。
本丸北側の空堀は山崎城の一番の見どころです。
土塁(北側)
空堀の横には土塁が築かれています。
土塁は堀底からだと高さが4~5m程あるので、堀の深さを除くと2~3m程の高さがあるかと思われます。
本丸の北東隅が一番高く、上面も平坦になっているので物見櫓的な建物があったと考えられています。
堀底から本丸を見上げると迫力があり、見どころです。
本丸跡
本丸は東西120m、南北100m程の広さがあります。
現在は神明社が建立されていて、閑静な広場となっています。
1548年の松平信孝が岡崎城を攻撃する為に出陣した際の渡合戦では、山崎城とその周辺から500人の兵がいたと云われています。
土塁(南側)
本丸の南側にも土塁が一部残されています。
土塁は高さが2~3m、長さは10m程あり、当時の姿の一部を留めています。
当時はこのような土塁(空堀)が本丸の全周に築かれていて、堅固なお城であった事が伺えます。
水上傅三郎翁 銅像
本丸南側の土塁の上には水上傅三郎翁の銅像が立てられています。
水上傅三郎翁は山崎村の庄屋に産まれで、農業の発展に貢献し、安城が日本のデンマークと云われる礎を築いた人物らしいです。
世の中には自分の知らない多くの偉人がいるのだなぁと感心します。
まとめ
山崎城は本丸北側の空堀と土塁が見どころです。
本丸の西側に駐車場が完備しているので訪れやすく、意外と空堀も良好に残されているので、気軽に見学できる城跡です。
山崎城ウェブサイト:安城市 山崎城跡
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