竹中氏陣屋の駐車場や見どころを紹介!

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お城

岐阜県不破郡垂井町にある竹中氏陣屋(岩手城)。

豊臣秀吉に仕えた竹中半兵衛重治の嫡男重門が構えた陣屋。

竹中氏は菩提山城を居城としていましたが平時には不便の為、1588年に岩手城を築きました。

1600年の関ヶ原の戦いで竹中氏は当初西軍に付いていましたが、井伊直政の仲介により東軍に加わりました。

東軍の徳川家康が勝利し、竹中氏の所領は安著され旗本となった為、陣屋と呼ばれるようになります。

当時の陣屋は1636坪の広さがあり、現在でも櫓門や水堀、石垣が残され見どころとなっています。

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竹中氏陣屋・基本情報、アクセス

所在地:〒503‐2107 岐阜県不破郡垂井町岩手619‐2

城 主:竹中氏

形 式:陣屋

文化財史跡:県指定史跡

日本100名城スタンプ:該当なし

竹中氏陣屋・駐車場

観光駐車場

竹中氏陣屋の北側に観光駐車場があります。

20台程停められる広さの無料駐車場です。トイレは陣屋の南側にある菁莪記念館にあります。

竹名氏陣屋・陣屋跡

櫓門

竹中氏陣屋の正門である櫓門

陣屋の跡のには櫓門があります。

竹中氏陣屋の正門で、間口が6間、奥行き3間の白壁の櫓門で、中央部に格子窓が設けられています。

櫓門は竹中氏陣屋の貴重な現存建築物で見どころです。

陣屋内部側から見た櫓門

櫓門は石垣の上に築かれていて、内部側から見ると段々と積まれた石垣を見る事が出来ます。

櫓門の南側に櫓門へに石段がありますが、内部を見学する事は出来ません。

明治時代には菁莪義校(岩手小学校の前身)の正門として利用されていました。

竹中半兵衛重治公像

櫓門の横にある竹中半兵衛重治公像

竹中半兵衛重治は豊臣秀吉に仕えた軍師です。

秀吉に仕える前、美濃の斎藤氏に仕えていた頃に稲葉山城を僅か16名で乗っ取ってしまうエピソードが有名です。

秀吉に仕えた跡は各地を転戦し、1579年に三木城を攻略しているさなかに陣中で病に倒れ、京都で療養しますが、再び陣に戻り36歳で亡くなりました。

櫓門横に残る水堀

櫓門の南側には水堀があります。

水堀は幅が10m、長さは30m程はあり、陣屋側に高い石垣が築かれています。当時はこのような堀が陣屋を囲んでいたと思われます。

水堀は竹中氏陣屋の貴重な遺構で見どころです。

菁莪記念館

竹中氏陣屋に関する資料が展示されている菁莪記念館

竹中氏陣屋の南側に菁莪記念館があります。

菁莪記念館では竹中氏陣屋や竹中氏についての資料が多数展示されています。

無料で見学する事が出来るので、竹中氏陣屋に訪れたら必見です。

【菁莪記念館】

開館時間:9:00~17:00

入館料:無料

休館日:火曜日

禅幢寺(竹中氏菩提寺)

竹中氏の菩提寺である禅幢寺

竹中氏陣屋から来たに400m程行った所に、禅幢寺があります。

禅幢寺は竹中氏の菩提寺です。竹中半兵衛重治が三木城攻略中の陣中で亡くなり、子の重門がこのお寺に墓を移しました。

本堂は1663年に重治の孫である重常が建立したもので、町の指定建造物となっています。

竹中氏一族のお墓

お寺の奥に竹中氏一族のお墓があります。

初代重元をはじめ重治から17代元彦までのお墓が立ち並んでいます。

背後には陣屋を築く前の居城である、菩提山城がそびえています。

まとめ

竹中氏陣屋に残る櫓門

【竹中氏陣屋の見どころ】

竹中氏陣屋の正門であり貴重な現存建築物である櫓門

竹中氏陣屋の貴重な遺構である、櫓門の南側に残る水堀と石垣

竹中氏の菩提寺でありお墓がある禅幢寺

ウェブサイト:竹中氏陣屋跡(岩手城)|岐阜県観光公式サイト

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