愛知県豊田市にある古瀬間城。
1506年に松平宗忠が高橋荘攻略の拠点とする為に築城しました。
新城街道を見下ろす標高100m程の丘に築かれていて、丸根城と共に矢作川東岸の重要な拠点となっています。
1590年に徳川家康が関東に移封されると廃城となります。
現在では主郭跡や櫓台跡、腰曲輪跡が残り、主郭に建てられている展望台からは豊田市を一望する事ができます。
古瀬間城・基本情報、アクセス
所在地:〒471‐0802 愛知県豊田市志賀町城山
城 主:松平宗忠
形 式:平山城
文化財史跡:ー
日本100名城スタンプ:該当なし
古瀬間城・駐車場
古瀬間城の麓にある浄願寺の駐車場があります。
5~6台程停められる無料駐車場です。トイレは浄願寺の境内にあります。
古瀬間城・縄張り図
古瀬間城は新城街道を見下ろす標高100m程の丘に築かれています。
主郭は40m×32mの広さで北東には櫓台があり、当時は櫓があったと思われます。
主郭の北、西、南側には腰曲輪が築かれ、主郭を強化しています。
浄願寺・境内
山門
古瀬間城の北側には浄願寺があります。
浄願寺の入口には立派な二階建ての山門や古瀬間城の石碑、説明板などが建てられています。
山門の青緑色の屋根が特徴的で、二階部分には廻縁が設けられ鐘が吊られていて鐘楼となっています。
本堂
山門をくぐると左手に本堂があります。
浄願寺は真宗大谷派の寺院で、鎌倉時代に親鸞が開いた浄土真宗の宗派のひとつです。
本堂は見た目だと近年に建てられたような印象を受けます。
古瀬間城・登城口
太平の門
浄願寺の奥に古瀬間城の登り口があります。
登り口には当時あったとされる城門の跡が残されています。
太平の門の看板の隣には礎石に木が残っているものがありますが、城郭の門として使用されていたかは分かりません。
松平弥三郎宗忠墓所
登城口の奥には松平弥三郎宗忠公墓所があります。
松平宗忠は松平宗家三代信光より分かれた長沢松平勝宗の子で、古瀬間城を築いた人物です。
登城道の途中には獣避けのフェンスがあります。
フェンスは自分で開けて中に入り、自分で閉めて先に進みます。
イノシシが出没するみたいですが、道は整備されていて主郭は歩いて2~3分程で着きます。
古瀬間城・主郭
郭内部
古瀬間城の主郭には説明板や主郭の表示番が立てられています。
主郭には50本の梅が植えられていて、2月には紅白の梅が主郭を彩ります。
櫓台跡
主郭の東側には櫓台跡があります。
当時は櫓が築かれていて登城口から登って来た敵を迎撃していたと思われます。
主郭の東側は窪んでいて堀切の跡か、又は曲輪が築かれていたと考えられています。
展望台
主郭の西側には展望台があります。
展望台は「主君家系譜」や「宗忠公のお墨つき」等の古文書に基づき、1982年に建てられました。
当時は木造銅板葺き二階建ての見張櫓が建てられていたと考えられ、西側の警戒監視をしていたと思われます。
景色
展望台は土足禁止ですが、二階に登る事ができます。
手前側は木々が多いですが、遠くには豊田市の街が広がっています。
まとめ
古瀬間城は主郭跡や主郭の展望台が見どころです。
麓の浄願寺の山門も歴史を感じる事ができ、登城道も整備されているので散策し易い城跡となっています。
ウェブサイト:豊田市古瀬間城址公園
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