長崎県大村市にある玖島城(くしまじょう)。
1599年に大村喜前(よしあき)により築城された平山城です。
天下を治めていた豊臣秀吉が亡くなると動乱が訪れると予測した大村喜前は、朝鮮出兵したときの経験を活かし三方を海に囲まれた玖島の地を選び築城しました。
1614年に2代大村藩主の純頼は加藤清正の指導を受けて玖島城を大改修します。
このときに大手口を北側から南側に移し、打ち込み接ぎによる石垣を築き、城内に6基の櫓を築きました。
1871年の廃藩置県の時に廃城となります。
現在は大村公園として整備され、二の丸の石垣上に板敷櫓が復元、本丸や二の丸の石垣、門跡、大村藩の船を格納していたお船蔵跡などが残され見どころとなっています。
玖島城・基本情報、アクセス
所在地:〒856‐0834 長崎県大村市玖島
城 主:大村氏
形 式:平山城
文化財史跡:県指定史跡・県指定文化財(大村藩お船蔵跡)
日本100名城スタンプ:該当なし
玖島城・駐車場
大村城の北東側に大村公園駐車場があります。
35台程停められる広さの無料駐車場です。トイレは駐車場横にあります。
玖島城・御城印
玖島城 御城印 1枚300円
玖島城の御城印が販売されています。
大村公園観光案内所で1枚300円で購入する事が出来ます。
【大村公園観光案内所】
玖島城・二の丸
大手門跡
二の丸の南側に大手門跡があります。
大手門はお城の正門であり、大村藩の記録にはこの場所に櫓門が建てられていました。
現在は大村神社の鳥居が建てられていて両側には石垣があり、門の先は左に折れています。
大手門跡の奥には穴門跡があります。
穴門は石垣で造られた門で、天井には板石が渡されていて、監視用の間口が設けられています。
南堀跡
二の丸の南側に南堀跡があります。
現在南堀は花菖蒲が植えられていて、5月下旬~6月上旬に見ごろとなります。
当時の南堀は長さが30間(約54m)、幅が12間(約21.6m)、深さが2間(約3.6m)の大きさであったと云われています。
板敷櫓
二の丸南側の石垣上には板敷櫓が復元されています。
板敷櫓は1992年に復元された二重二階の櫓で、この地名である板敷から名付けられています。
櫓からは大村湾を一望する事ができ、実際に内部に入ることもできます。
玖島城は1614年、大村純頼の時に大改修が行われました。
この時に大手門と板敷櫓台に延びる石垣が築かれ、築城名人である加藤清正に意見を求めたと記録が残されています。
扇の勾配の綺麗な石垣と復元された板敷櫓は、玖島城を象徴する景観となっていて見どころです。
虎口門跡
本丸は西側に虎口門、南側に台所口門、北側に搦手門と3ヵ所の出入り口があります。
虎口門は本丸の正門であり、石垣により左、右へと折れて更に石段を上がると本丸内部となります。
石垣と再建された土塀により桝形虎口が形成されてる虎口門跡は、厳重さが感じられ見どころです。
台所口門跡
本丸南側にある台所口門跡は、藩主の居住する台所に因み名付けられています。
台所口門跡も石垣により右、左へと折れていて、石垣が高く迫力があります。
大村神社
本丸は比高15mの場所にあり、東西55間(約99m)、南北45間(約81m)の広さとなっています。
現在は大村神社が建立されていますが、当時は本丸御殿が建ち藩主の居館となっていました。
玖島城に天守が建てられる事はありませんでした。
搦手門跡
本丸北側の搦手門は裏口であり、1614年の改修が行われる以前は正門となっていました。
搦手門付近は築城当時の石垣を見る事が出来ます。
搦手門跡付近の本丸内部側では雁木が残されています。
雁木は城兵が一斉に土塀まで登れるようにした石段であり、大阪城や会津若松城でも見る事が出来ます。
玖島城・三の丸
大村藩お船蔵跡(県指定史跡)
玖島城の西側に三の丸があり、大村藩のお船蔵跡が残されています。
4代藩主大村純長が元禄年間(1688~1703年)に築いたもので、藩主が使用した御座船を始めとする藩の船が格納されていました。
大村湾に面した玖島城では藩主の移動には船が使用されるだけではなく、物資の輸送等などにも使用され、玖島城の特徴となっています。
お船蔵跡は全国的に見ても貴重な遺構で、大村藩の特徴がみられて見どころです。
まとめ
【玖島城の見どころ】
・二の丸南側の美しい扇の勾配の石垣の上に復元された板敷櫓
・本丸西側の石垣と土塀により桝形の形が良く残り迫力がある虎口門
・三の丸西側の全国的にも珍しく県の史跡に指定されている大村藩お船蔵跡
ウェブサイト:大村市|玖島城跡
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