長崎県南島原市にある日野江城。
1216年頃に藤原経澄が築城し、この時に性を有間(有馬)と改称しました。
以後、有馬氏の居城として島原半島を領有する戦国大名となります。
1579年に13代当主の有馬晴信は洗礼を受けキリシタン大名となり、1580年には城下町にイエズス会の教育機関である「有馬のセミナリヨ」を創設します。
1582年に卒業生によるヨーロッパ派遣団「天正遣欧少年使節」をローマに派遣し、帰国すると日野江城で報告会が催されています。
1612年に有馬晴信は岡本大八事件により失脚し、跡を継いだ子の直純は1614年に日向延岡に転封となります。
一時天領となりますが、1616年に松倉重政が入封し1618年に森岳城(島原城)を築城した事により廃城となります。
現在城跡は国の指摘に指定され、二の丸の階段遺構や石垣、本丸等の郭跡が残され見どころとなっています。
日野江城・基本情報、アクセス
所在地:〒859‐2305 長崎県南島原市北有馬町戊2444
城 主:有馬氏
形 式:平山城
文化財史跡:国指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
日野江城・駐車場
日野江城の東側に日野江城跡駐車場があります。
10台程停められる広さの無料駐車場です。トイレはないので注意が必要です。
駐車場には日野江城の説明板が設置されています。
日野江城・縄張り図
日野江城は標高80m程の丘陵地に築かれた平山城で、西側には浦口川、東側には大手川が流れる要害となっています。
最頂部に本丸があり、西側に三の丸、東側に二の丸が階段状に築かれ、大手口を配しています。
北側に続く尾根には堀切や竪堀を築き、土橋により本丸へと繋がっています。
日野江城・登城口
日野江城の登城口は駐車場の直ぐ近くにあります。
登城口から本丸までは歩いて10~15分程で行くことが出来ます。
日野江城・二の丸
石垣①
登城口の階段を登って行くと、左手に階段状に築かれた二の丸があります。
石垣は高さが1.5~2m程の高さで、一つひとつの石は小さく自然の石を使用した野面積みと思われます。
登城口の階段から見える二の丸の石垣は日野江城の見どころのひとつです。
階段遺構
階段状に築かれた二の丸の一番高い曲輪5には階段遺構があります。
現在は埋め戻されていますが、当時は幅5.5m、高さ3.3m、22段の階段があり、踏み石は半数以上が仏塔が使用されていました。
また、階段の両側の石垣には石材をパズル状に組み合わせる海外の技術が使用されていました。
階段遺構の近くには写真付きで階段の状態が分かり、当時の様子を感じる事が出来るので見どころです。
階段を登った場所からは金箔瓦が出土しており、有馬氏と豊臣秀吉との密接な繋がりがあったと考えられています。
石垣②
階段遺構の横には二の丸(曲輪5)の石垣が残されています。
石垣の石材が曲輪6よりも大きく、高さが2~3m程で、長さが50m以上にも渡り築かれています。
二の丸(曲輪5)の長大で大規模な石垣は、日野江城で最も良好に残されている遺構で見どころです。
日野江城・本丸
石垣
本丸は二の丸の西側にあり、曲輪1、曲輪2、曲輪3と段状に分かれています。
曲輪3が最も広く外郭の頂部には石垣を見る事が出来ます。
日野江神社
本丸には日野江神社が建立されています。
神社の周りには石積みがありますが、恐らく近代に築かれたものかと思われます。
本丸内部
日野江城の際頂部に本丸(曲輪1)があります。
本丸には日野江城の説明板や石碑があり、発掘調査により瓦や陶磁器、土師器などが見つかっていることが分かります。
まとめ
【日野江城の見どころ】
・二の丸(曲輪5)の当時の繁栄を感じる事が出来る階段遺構
・二の丸(曲輪5)の50m以上にも及ぶ長大な石垣
・二の丸(曲輪6)の高さ2m程の石垣
ウェブサイト:日野江城跡|南島原ひまわり観光協会
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