原城の御城印や駐車場、見どころを紹介!

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お城

長崎県南島原市にある原城。

1599年~1604年にかけて肥前有馬氏の日野江城の支城として築城されました。

1614年に有馬直純が日向に転封となり天領となりました。

松倉氏が支配する所となりますが、1618年に島原城を築城すると廃城となります。

1637年から1638年にかけて起こった天草、島原の乱の際に一揆勢が籠城し、天草四郎時貞が総大将となります。

2万人以上もの人々が籠城しますが、幕府方の10万人以上もの大軍に囲まれ激戦が行われますが、兵糧攻めにより落城します。

現在では国の指定史跡、世界文化遺産に登録され、本丸の正門跡や櫓台の石垣、空堀などが残され見どころとなっています。

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原城・基本情報、アクセス

所在地:〒859-2412 長崎県南島原市南有馬町

城主:有馬氏

形式:平山城

文化財史跡:国指定史跡

続日本100名城スタンプ:有馬キリシタン遺産記念館

原城・御城印

有馬キリシタン遺産記念館

 原城 御城印(限定版)

原城から北西に1㎞程の場所に「有馬キリシタン遺産記念館」があります。

続日本100名城のスタンプや原城の御城印が販売されています。

また、原城や天草・島原の乱に関する資料が豊富に展示されているので、原城に訪れる際は必見です。

【有馬キリシタン遺産記念館】

所在地:〒859‐2412 長崎県南島原市南有馬町乙1395番地

開館時間:9:00~16:00

入館料:一般300円、高校生200円、小・中学生150円

休館日:木曜日、12月29日~1月3日

ウェブサイト:有馬キリシタン遺産記念館

原城・駐車場

原城跡大手口駐車場

原城の三の丸東側に「原城跡大手口駐車場」があります。

100台程停められる広さの無料駐車場です。原城温泉真砂や本丸にトイレがあります。

原城・縄張り図

原城の縄張り図(現地案内板より)

原城は島原半島の南東部の海に面した丘陵地に築かれています。

南側に丘陵地の先端に本丸があり、北側に二の丸、三の丸が配置されています。

本丸は石垣が築かれていて、虎口は何度も折れ曲がる厳重な門となっています。

原城・三の丸

大手口跡

三の丸東側にある大手口跡

三の丸の東側に大手口跡があります。

大手口は海に面していて、虎口は直角に折れ曲がる内桝形となっていました。

発掘調査により石敷の通路や銃弾、人骨が確認され、戦闘が行われた事がうかがえます。

板倉重昌の碑

1797年に子孫が立てた板倉重昌の碑

三の丸は原城の最も北側にあり、自然地形を生かした土造りの郭です。

三の丸には攻城側が竹束や柵を造る仕寄場跡や板倉重昌の碑があります。

板倉重昌は幕府方の総大将を務めた人物で、1638年に三度の攻撃を行い自ら突入しますが、戦死してしまいます。

原城・二の丸

二の丸内部

二の丸の様子

本丸と三の丸の間に二の丸があります。

自然地形を生かした土造りの郭で、原城で最も広い郭となっています。

空堀

本丸と二の丸の間の空堀

本丸と二の丸の間には空堀が築かれています。

一揆を描いた絵図には縦10m程、横39m程と記した資料があります。

現在でも巨大な空堀が残されていて迫力があり、見どころです。

原城・本丸

本丸正門跡

発掘調査により瓦敷きの水路や陶磁器、人骨が確認された本丸正門跡

本丸の北側に本丸門跡があります。

本丸門は石垣で幾度も折れ曲がり、桝形虎口が形成されています。

当時は虎口の通路に沿うように隅櫓や多門櫓などが立ち並ぶ、原城で最も厳重な門であったと推定されます。

現在でも石垣が残り、折れが確認できる本丸正門跡は見どころです。

埋門跡

幕府軍により破壊された埋門跡

本丸門跡の先に埋門跡があります。

埋門は一揆後の幕府軍により徹底的に破壊されてしまいました。

現在では破壊の工程が分かるように三工程に分かれて展示がされています。

櫓台跡

本丸の南側に残る櫓台

本丸の南側に櫓台が残されています。

宣教師が残した資料には三重の櫓が建てられていた事が記されていて、石垣により方形に張り出したこの場所に三重櫓が建てられていたと推定されています。

現在でも石垣の下部が残されていて、三重櫓が建てられてた痕跡を見る事ができ、見どころです。

本丸門跡

一揆後に幕府軍により破壊された本丸門跡

埋門跡の先に本丸門跡があります。

本丸門は本丸に入る為の最後の門で、通路には礎石が並んでいる事から櫓門が建てられていたと推定されています。

櫓門を抜けると右に折れ、階段を登ると本丸の最深部となります。

礎石が並び右に折れる本丸門跡は虎口の形が良く分かり見どころです。

天草四郎の碑と十字架

本丸に建つ天草四郎の碑(左側)と十字架

本丸は原城の南側にあり、天草四郎などの指導者が立て籠もった場所です。

天草四郎時貞は15歳という若さで一揆軍の総大将となり、幕府軍と戦いました。

一揆軍は88日間原城で籠城しましたが、大軍の総攻撃により落城し、天草四郎は本丸で首を切られ、長崎でさらし首にされました。

池尻口門跡

本丸の裏門である池尻口門跡

本丸の北東側に池尻口門跡があります。

池尻口門は本丸の搦め手口(裏門)にあたり、この場所も一揆後に幕府軍により破壊されました。

現在では両側下部の石垣や石段が残されています。

石垣

本丸の北側の破壊された石垣

本丸の北側には折れが多用された石垣が残されています。

石垣は一揆後の幕府軍により破壊されていて、特に隅部や上部を崩し石材は砂と土砂で埋める徹底ぶりでした。

本丸北側の石垣は現在でも一部が残されていて、折れ重なる様子が分かり見どころです。

まとめ

本丸の櫓台跡から見た景色

【原城の見どころ】

本丸南側に残る三重櫓が建てらえていたと推定される櫓台跡

本丸の北西側に残る石垣が残り何度も折れ曲がる本丸正門

櫓門の礎石が残り折れた後に石段跡が確認できる本丸門跡

本丸北側の幕府軍による破壊の様子や折れが多用された様子が分かる石垣

本丸と二の丸の間に築かれている巨大な空堀

ウェブサイト:原城跡|長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

長崎県のオススメのお城:島原城平戸城

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