三重県名張市にある名張陣屋(名張藤堂家邸跡)。
1636年に藤堂氏が構えた陣屋で、現在の建物は1710年に名張大火で焼失した後に建てられたものとなっています。
初代の高吉は丹羽長秀の三男として1579年に生まれ、1582年に羽柴秀吉の計らいにより羽柴秀長の養子となります。
藤堂高虎には子がいなかった為、高吉を養子として迎えましたが、高虎が75歳で亡くなると実子の高次が家督を継ぎました。
高吉が名張に陣屋を構えてから明治維新まで11代に渡り、名張藤堂家の居館となりました。
現在でも大火の跡に再建された藤堂家邸の中奥、祝間や旧正門(太鼓門)などが残され、見どころとなっています。
名張陣屋・基本情報、アクセス
所在地:〒518‐0718 三重県名張市丸内54‐3
城 主:名張藤堂家
形 式:陣屋
文化財史跡:県指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
名張陣屋・駐車場
名張陣屋(名張藤堂家邸)の横に専用駐車場があります。
3~4台程停められる無料駐車場ですが、かなり狭いので注意が必要です。
名張陣屋・藤堂家邸跡
門
名張藤堂家邸の入口には門があります。
簡易的な門ですが、両側には土塀が連なっているので良い雰囲気です。
【藤堂家名張邸】
所在地:〒518‐0718 三重県名張市丸之内54‐3
開館時間:9:00~17:00
入館料:一般200円・高校生100円・小中学生無料
休館日:月曜日、木曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始
ウェブサイト:名張藤堂家邸
名張藤堂家邸
1636年に藤堂高虎の養子となった高吉が、2万石を拝領し名張陣屋を構えました。
当時の建物は1710年の名張大火で焼失してしましますが、以後に再建された中奥、祝之間、茶室などの奥向きの一部が現在でも残されています。
当時の名張藤堂家邸は広間、書院、上段などの日常の業務を行う公式の場や、山水の間、座敷、居間などの奥方が生活する大奥などがある大きな屋敷でした。
内部には豊臣秀吉の朱印状や羽柴秀吉、丹羽長秀の書簡、藤堂采女が大坂夏の陣で使用した朱具足などの貴重な品々も展示されています。
名張藤堂家邸(中奥、祝之間、茶室)の内部は趣があり、貴重な展示も多数あるので見どころです。
中奥からは敷地内の庭園を見る事が出来ます。
小さな庭園ですが白漆喰いの瓦葺きの土塀と奥に広がる山々が相まって、きれいな眺めとなっています。
蔵
名張陣屋内には大きな蔵があります。
蔵の内部を見学することは出来ませんが、上部が白漆喰いで下部が下見板張りとなっていて、変化に富んでいます。
隣の小さな門や土塀も良いです。
旧正門(太鼓門)
名張陣屋の裏側に寿永神社があり、名張陣屋で使用された旧正門があります。
旧正門(太鼓門)は名張藤堂家邸の入口として使用されていた長屋門です。
門扉の横には出格子窓や小さな通用門などがあり、白漆喰いと下見板張りの組み合わせが良いです。
旧正門を横から見ると屋根下の格子状の妻壁や懸魚がしっかりとあり、瓦には軒丸瓦には名張藤堂家の家紋である桔梗紋が施されています。
名張藤堂家邸の旧正門(太鼓門)は名張陣屋の貴重な建築物で見どころです。
石垣
名張藤堂家邸の駐車場の南西側(昭和保育園の向かい)には石垣らしき遺構があります。
当時の陣屋で使用されていた石垣かどうかは断定は出来ませんが、もしかしたら当時の以降かも知れません。
大手門跡
名張藤堂家邸から南西に200m程行った所に大手門跡があります。
特別遺構はなく大手門の石碑が立てられている場所です。この場所に大手門があるという事は当時はかなり大きな陣屋であった事が伺えます。
まとめ
【名張陣屋(名張藤堂家邸)の見どころ】
・1710年の焼失後に再建された名張藤堂家邸の貴重で趣のある中奥、祝之間、茶室
・名張藤堂家邸の入口に使用されていた寿永神社に移築されている旧正門(太鼓門)
ウェブサイト:名張藤堂家邸
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