三重県多気郡多気町にある五箇篠山城。
鎌倉時代に上野国から移って来た、野呂氏隆が築城し居城としました。
南北朝時代には伊勢守護の仁木義長により攻撃されたと云われています。
1569年に織田信長の伊勢侵攻により野呂氏が大河内合戦で敗れると、安保氏が城主となります。
1576年に織田信長により北畠具教を始め一族を誅殺され、1582年の本能寺の変の際に北畠具親が挙兵し、五箇篠山城に籠城しました。
織田信雄の軍により攻撃され2日後に落城しました。
標高140m程の丘陵に築かれた城跡には、主郭跡や土塁、二重堀切、堀切などが残され見どころとなっています。
五箇篠山城・基本情報、アクセス
所在地:〒519-2215 三重県多気郡多気町朝柄2966
城 主:仁木氏、安保氏
形 式:山城
文化財史跡:町指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
五箇篠山城・駐車場
五箇篠山城の南西側にゆとりの丘の駐車場があります。
30台程停められる広さの無料駐車場です。トイレも完備しています。
五箇篠山城・登城口
駐車場の北側に五箇篠山城の登城口があります。
登城口から主郭までは10分程で行くことが出来ます。登城口には五箇篠山城の説明板が設置されているので必読です。
五箇篠山城・主郭
虎口跡
主郭の南側には虎口跡があります。
虎口は主郭の一段下にあり、桝形のような空間が造られています。
主郭側から横矢が掛けられるように工夫されていて、厳重な虎口となっています。
横矢が意識された主郭の虎口跡は桝形の空間が良く残されていて、見どころです。
主郭内部
五箇篠山城の西端に主郭があります。
主郭は他の曲輪と同じ位の広さですが、外周部に土塁が残されています。
土塁の高さは1m程ですが、五箇篠山城ではこの主郭にしか残されていない貴重な遺構で、見どころです。
五箇篠山城・副曲輪①
二重堀切
主郭の東側には二重堀切が残されています。
堀切の深さは3~4m程で、二つの堀切の間にはこぶのような土塁が残されていて独特な形状となっています。
堀切の下部は人が一人通れる程の幅で、上部は4~5m程はあるかと思われます。
主郭の東側に築かれている二重堀切は珍しい遺構で、五箇篠山城の一番の見どころです。
曲輪内部
主郭の東側には小さな曲輪があります。
この曲輪では外周部等に土塁はなく、平地が続くのみとなっています。
五箇篠山城・副曲輪②
堀切
副曲輪①と副曲輪②の間には堀切が築かれています。
堀切は深さが5~6m、幅が7~8m程はある規模が大きいもので、迫力があります。
副曲輪①と②の間の堀切は五箇篠山城で最大級の大きさで、見どころです。
五箇篠山城・東曲輪
堀切
副曲輪②と東曲輪の間には堀切が築かれています。
堀切は副曲輪側が高低差が大きいですが、東曲輪側は高低差がさほどありません。
曲輪内部
東曲輪は五箇篠山城の山頂部に築かれた曲輪群で、最も東側に位置しています。
現在は木々が生い茂る状態となっています。
堀切
東曲輪の東側には堀切が築かれています。
堀切は東曲輪側の高低差は5m程あるかと思われますが、反対側は2~3m程となっています。
堀切の先には一段下がった場所に曲輪が築かれています。
まとめ
【五箇篠山城の見どころ】
・横矢が意識された桝形が形成されている主郭虎口
・主郭を取り囲む五箇篠山城の貴重な土塁
・主郭東側に築かれている珍しい形の二重堀切
・副曲輪①と②の間に築かれている大規模な堀切
ウェブサイト:五箇篠山城 歴史情報蔵
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