お城の紹介します。
静岡県掛川市の横須賀城です。
1578年に当時武田家が支配していた高天神城を攻略する為に、徳川家康が大須賀康高に命じて築かれたお城です。
1581年に高天神城が落城し廃城となると、横須賀城が高天神城の代わりとなり遠州の拠点として機能しました。
その後、横須賀藩が立藩し明治維新まで存続しますが、1869年に静岡藩に含まれる事になると横須賀城は廃城となりました。
現在では、全国的にも珍しい河原の丸い石を使用した玉石積みの石垣が残され、独特なお城を見ることができます。
横須賀城・基本情報、アクセス
所在地:〒437-1304 静岡県掛川市西大渕5383
城 主:大須賀氏、松平氏、井上氏、本多氏、西尾氏
形 式:平山城
文化財史跡:国指定史跡
日本100名城スタンプ場所:該当無し
横須賀城・御城印
横須賀城 御城印 1枚300円
横須賀城の御城印が販売されています。
掛川市観光協会ビジターセンター(掛川駅南口構内)で1枚300円で購入する事ができます。
また、掛川城・高天神城・横須賀城のセットで800円で購入する事もできます。
横須賀城・駐車場
横須賀城の西側と南側に無料駐車場があります。
それぞれ5台ほど駐められる駐車場です。
横須賀城・縄張り
横須賀城は小笠山から西に延びる尾根を利用し築かれた平山城です。
当初は山城として松尾山に本丸が築かれていましたが、近世城郭として改修された際に中腹部に移動されました。
本丸を中心に東側に三の丸、西側に二の丸を配置し、外周部には堀を築き防備を固めています。
また、大手門が東側と西側にそれぞれ1箇所設けられているのが特徴的です。
横須賀城・三の丸
横須賀城の東には三の丸があります。
三の丸は現在広大な平地が広がっているだけとなっていますが、横須賀城がかなり大きな規模のお城であった事を伺うことができます。
当時は三の丸の南側に、枡形虎口の東大手門が附属していて、横須賀城の正門となっていました。
横須賀城・二の丸
横須賀城の西側に二の丸があります。
二の丸も現在は平地が広がっているのみとなっています。
当時は二の丸に御殿が建てられていて、更に西側には倉庫や馬屋などの曲輪が配置され、西大手門が築かれていました。
横須賀城・北の丸
本丸の北側に北の丸があります。
北の丸は武器の倉庫が複数建てられていたと考えられています。
また、一時期には城主の側室が住んでいたと云われています。
建物跡石列遺構
北の丸には建物が建てられていた場所に、石列が残されています。
L字型になった石列の上に建物の仕切りの壁があったと考えられていて、絵図から北の丸には4棟の建物があったとされています。
松尾山
北の丸の北東に松尾山があります。
横須賀城築城当初は、松尾山が本丸として機能していました。
松尾山名前の通り、小高い山になっていて、北の丸を見下ろす事ができる高い場所になっています。
多門櫓跡
松尾山の北東には多門櫓の跡があります。
多門櫓は、壇の上に南北16.5m、東西4.5mの範囲の礎石上の上に建てられていて、横須賀城の東端の重要な防御施設でした。
平時の際には武器倉庫として利用されていたと思われます。
多門櫓が建てられていたとは驚きです。
横須賀城・本丸南下の曲輪
三日月池
横須賀城の南側には三日月池があります。
三日月池は横須賀城の内堀の名残で、唯一残された堀跡です。
当時はこのような堀が横須賀城の周囲を取り囲んでいたとされ、かなり防御力の高いお城であったことが分ります。
三日月池 北側中段の曲輪
三日月池の北側には本丸東側へ行く為のスロープと曲輪があります。
曲輪には黒い玉砂利が敷かれていて、土間があったとされています。
また、本丸の外周部に玉積みの石垣が築かれていて、壮観です。
玉積みの石垣
横須賀城の本丸南側には、段々に積まれた玉石垣が目に入ってきます。
なんともいえない独特な光景で、人によっては気持ち悪いと感じる事もあるかと思います。
玉石垣は河原にある角が取れた丸い石を積み、石垣としています。
高い所だと3m以上はある場所もあり圧巻です。
本丸南下門跡
本丸へは小さな曲輪が数段あり、スロープと階段で登って行きます。
小さな曲輪を重ねることで、本丸への防衛線として防御力を高めています。
この場所は本丸へ至る防衛上重要となっていて、当時は櫓門が建てられていました。
大きな木の横にある階段は西の丸への入口で、右奥にある階段は本丸への入口です。
本丸への階段です。
両側に玉石垣が迫る光景は、やはり独特で慣れませんね。
良く崩れないで積まれています。丸い石なので積む技術力が高いのでしょう。
大きな木の横の階段が西の丸への階段です。
本丸や西の丸など複数の曲輪を接続しているので、重要な場所であったと思われます。
横須賀城・西の丸
本丸の西側に西の丸があります。
現在の西の丸は平地が続いているのみとなっています。
横須賀城・本丸
天守台
本丸の北側には天守台があります。
天守台の周囲には低い石垣が築かれ、東南隅には天守台へのスロープが築かれていました。
この天守台には、三重四階の天守が建てられていましたが、1707年の東海地震で倒壊してからは再建されませんでした。
また、天守台の周囲からは瓦や鯱瓦の頭部や、尾の部分が出土しています。
横須賀城の天守見てみたかったです。
天守台からの景色
天守台からは横須賀の町並みを一望する事ができます。
天気が良ければ遠州灘を見る事ができるかも知れません。
江戸時代中期には、横須賀城の近くまで遠州灘の入り江があり、横須賀湊がありました。
横須賀城は海辺の道と海上交通の要衝として機能していました。
横須賀城・不明門(町指定文化財)
横須賀城の北西には撰要寺があります。
撰要寺は横須賀城主である大須賀康高が上人(徳の高い僧)を招き建立したお寺です。
撰要寺の山門は横須賀城の不明門が移築されています。
不明門は明治時代の初めにこの場所に移築され、横須賀城主本多利長が築いたものとされています。
不明門には丸に立葵の紋が付けられているのが特徴的です。
横須賀城の貴重な城郭建造物が現存していて、必見です。
横須賀城・搦手門
横須賀城の西にある、本源寺には横須賀城の搦手門が移築されています。
搦手門は江戸時代中期の形式となっていて、こちらも横須賀城の貴重な城郭建築物となっています。
横須賀町番所(市指定建造物)
横須賀城の西へ1㎞程行った所には、横須賀町番所があります。
横須賀町番所は横須賀城東大手門の横にあり、役人や足軽が詰めていて、城内に出入りする人の監視を行っていました。
一時期は民家や資料館などとして利用されていていましたが、この場所に復元する際に当時の間取りと形が再現されました。
最後に
横須賀城は全国的にも珍しい玉石垣が最大の見所です。
当時横須賀城で使用されていた、搦手門(移築場所:撰要寺不開門)や横須賀町番所(移築場所:大須賀支所北側入口)が市内に移築され現存しています。
こちらもゆっくりと散策するもの良いかと思います。
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