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【大阪府・飯盛城】京都を掌握した天下人、三好長慶が築いた巨大な山城

お城

お城の紹介をします。

大阪府の大東市と四條畷市に跨がる、飯盛城(飯盛山城)です。

室町時代に、畠山氏の家臣 木沢長政が築城した事に始まります。

その後、阿波国出身の三好長慶が飯盛城を攻略します。

三好長慶は畿内を勢力下に置くまでなり、室町幕府や将軍家を掌握すると、1560年に自身の本拠地を芥川山城からこの飯盛城に移します。

信長よりも先駆けて天下人となった三好長慶が築いた飯盛城は、南北700m、東西400m曲輪の数は70にものぼり、近畿地方最大級の山城となります。

現在でも御体塚曲輪の堀切や、信長よりも先駆けて築いた石垣などが残され、当時の栄華を垣間見る事ができます。

飯盛城

所在地:大阪府大東市大字北条・大阪府四條畷市大字南野

城 主:木沢氏、安見氏、三好氏

続日本100名城スタンプ場所:大東市立歴史民俗資料館・四條畷市立歴史民俗資料館

飯盛城の北に四條畷神社があるので、こちらの駐車場か近くのコインパーキングを利用すると良いでしょう。

四條畷神社は南北朝時代の楠木正行が祀られている神社です。

神社の脇に飯盛城の登山口があります。

登山口から山頂の主要部までは、1時間位は山道を登って行きます。

二の丸史跡碑郭の立札

最初に辿り着く郭は二の丸史跡碑郭です。

飯盛城の立て札があり、畿内を治めた三好長慶が居城した事が伝えられています。

二の丸史跡碑郭の石碑

立て札の近くには、飯盛城の石碑があります。

麓からここまで登ってくるだけでもヘトヘトになってしまうのに、良くこのような大きな石碑を運んできたなぁと感心します。

二の丸史跡碑郭からの景色

二の丸史跡碑郭からは、大阪の町を一望する事ができます。

織田信長よりも早く京都を支配下に置いた、三好長慶も見たであろう景色で壮観ですね。

ここにはベンチがあるので、景色を見ながら休憩すると良いです。

御体塚郭の堀切

二の丸史跡碑郭の先には、御体塚郭があります。

御体塚郭と二の丸史跡碑郭の間は、巨大な堀切で隔てられています。

大きな堀切なので、元々このような自然の地形だったのかと思ってしまうほどです。

御体塚郭付近の石垣

御体塚郭には石垣が築かれています。

織田信長の安土城で築かれた石垣が有名ですが、三好長慶はそれよりも前から飯盛城に石垣を築いていました。

しかし、城郭建築物を載せる為の石垣では無く、土留めの為の石垣と思われます。

御体塚郭付近の石垣

石を加工しない野面積みの石垣です。

やはり戦国時代初期の頃の石垣なので、隙間が大きくて高さもありません。

しかし、石垣を早くから導入するとは三好長慶の先見の明がありますね。

御体塚郭の石碑

御体塚郭は、三好長慶の遺体を埋めた事から名前が付けられています。

まだ先には御体塚郭の先には、高櫓郭や千畳敷などがあるので、時間に余裕がある場合は見学すると良いでしょう。

飯盛城は三好長慶が居城した最後のお城で、近畿地方最大級の山城です。

天下人が築城した、スケールの大きな山城を体感できるお城です。

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