岐阜県大垣市にある樫原城(かしばらじょう)。
築城時期は不明ですが、「明智氏一族宮城家相伝系図書」には「明智光秀は多羅で生まれる。多羅は進士家の居所である。」と書かれています。
また、地域に伝わる記録には「永禄の頃、秀吉の長島攻めのとき、樫原に陣を置いた。永禄の頃、三輪三人衆の一人、佐渡が樫原に住んだ。」と書かれています。
令和2年の発掘調査により戦国時代後半の山城であると確認されました。
現在でも、津島神社の裏手に主郭があり、主郭南側の土塁や堀切、北側の横堀などが残され見どころをなっています。
樫原城・基本情報、アクセス
所在地:〒503-1623 岐阜県大垣市上石津町上多良865
城 主:不明
形 式:山城・単郭式
文化財史跡:ー
日本100名城スタンプ:該当なし
樫原城・駐車場
樫原城に専用駐車場はありません。
樫原城近くにある樫原公民館の駐車場をお借りすると良いでしょう。
樫原城・縄張り図
樫原城は多羅の山間部にある単郭式の山城です。
主郭の西側は崖地となっていて、南側には堀切、北側には横堀が築かれ、虎口は東側となっています。
樫原城・登城口
津島神社
樫原公民館の裏手に津島神社があります。
山間部に佇む小さな神社で境内からは周囲の山々を見る事が出来ます。
登城口
津島神社の右側に樫原神社の登城口があります。
登城口には樫原城の縄張り図付きの説明板が設置されています。
樫原城では山ヒルが出るようなので、冬に訪れるのが良いかと思います。
樫原城・主郭
堀切
登城口の先の道を進むと堀切が左手にあります。
堀切は深さが4~5m、幅が5m程あり、現在でも傾斜が急になっています。
主郭南側の堀切は深く鋭く良好に残されているので、見どころです。
虎口
主郭の東側に虎口跡があります。
虎口はかすかに土の凹みと高まりが分かる位となっていて、この場所に虎口があった事が分かります。
虎口の先の主郭内部には井戸跡があり、樫原城の貴重な水源であったと思われます。
主郭内部
主郭はほぼ正方形となっていて、平地が広がっています。
主郭には樫原城の旗が立っていて地元の方が整備してくれていると思われます。
土塁
主郭の南側と東側に土塁が残されています。
土塁の高さは2~3m程あり、現在でもL字の土塁が残されていて、土塁の上からは堀切を覗く事が出来ます。
主郭南側の土塁は良好に残されていて、見どころです。
切岸
主郭の西側は崖地となっていて、切岸が施されています。
切岸は斜面を削り、急勾配にする事で敵が登って来れないようにする防御機構で、現在でも崖地となっているので、転落しないように注意が必要です。
横堀
主郭の北側には横堀が築かれています。
横堀は主郭側から底部までの深さが4~5m程あり、途中で折れを伴っています。
折れを造ることにより横矢掛かりとなるようにしていて、工夫されています。
横堀は東側に向かって斜面を落ちて行っていて、竪堀の様にもなっています。
主郭北側の折れる横堀は良好に残されていて、見応えがあり見どころです。
島津豊久の墓(島津塚)
樫原城から東に200m程行った所に島津豊久の墓(島津塚)があります。
島津豊久は島津四兄弟の末弟で家久の子で、日向国佐土原城主でした。
関ヶ原の戦いでは西軍に付き、敗戦が濃厚となると鳥頭坂で殿を務めました。
島津豊久はこの地で亡くなりますが、いくつかの伝承があります。
殿を務めた豊久は鳥頭坂で討ち死にしていて、この場所に亡骸が運ばれたと云われていたり、鳥頭坂の殿戦で深手を負った豊久は庄屋の三輪内助入道一斎に匿われたが、足手まといになると考え白拍小谷で自刃したとも伝わっています。
亡骸は薬師寺(瑠璃光寺)で荼毘葬され現在でも豊久公の菩提寺となっています。
まとめ
【樫原城の見どころ】
・主郭南側の鋭く深く残る堀切
・主郭南側と東側に残るL字型の土塁
・主郭北側の折れを伴った横堀
ウェブサイト:樫原城 津島神社|観光スポット|岐阜県観光公式サイト
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