福島県二本松市の二本松城です。
標高345mの白旗ヶ峰に畠山氏が築いた山城で、伊達政宗に攻められ畠山氏は滅亡します。
その後、蒲生氏、加藤氏が城主となった時に石垣が築かれ、近世城郭へと改修されます。
1643年に丹羽光重が入封されると、三の丸御殿や箕輪門が築かれ、城下町を整備します。
戊辰戦争が発生した際には、奥羽越列藩同盟に参加した為、新政府軍に攻められ落城します。
戊辰戦争時の二本松少年隊の悲劇が現在でも語り継がれています。
現在では三の丸の箕輪門、二重櫓、多門櫓、本丸の石垣が復元され見どころとなっています。
二本松城・基本情報、アクセス
所在地:〒964-0904 福島県二本松市郭内3丁目、4丁目
城 主:畠山氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、丹羽氏
形 式:山城
文化財史跡:国指定史跡、県指定重要文化財1件、市指定文化財3件
日本100名城スタンプ場所:二本松歴史資料館受付窓口、JR二本松駅内観光案内所
二本松城・駐車場
二本松城の南側に霞ヶ城公園駐車場があります。
無料で50台程駐められる駐車場です。
二本松城・三の丸
高石垣
三の丸には、加藤氏時代に積まれた高石垣があります。
高石垣は高さ10~13mもあり、上部には狭間と石落としが付いた塀が再現されています。
石垣には地中の水を出すための排水口が設けられていて、石垣の崩壊を防いでいます。
正にそびえたつ壁のようで、圧巻ですね。
二本松少年隊の像
駐車場のそばには二本松少年隊の像があります。
幕末時代に戊辰戦争で12才~17才の少年により隊が結成され、新政府軍と大壇口で戦い、多数の戦死者を出しました。
会津藩の白虎隊は有名ですが、二本松でもこのような悲劇があった事は知らなかったです。
多門櫓、箕輪門、二重櫓
三の丸の南には箕輪門があります。
三の丸の入口である枡形虎口には1982年に多門櫓、箕輪門、二重櫓が再建され、当時の姿を垣間見る事ができます。
ちなみに、二重櫓は実際に有ったかどうか分かっていません。
石垣で右に折れていて3方向から攻撃出来る枡形門になっていて、非常に厳重な虎口になっています。
石垣の間に建てられた、箕輪門 迫力があります。
右側の石垣には石を割る際にできる、矢穴があるのが良いですね。
三の丸下段の入口は、石垣で左に折れていて、敵の侵入を防いでいます。
打込接ぎの石垣で道が造られていて、緊迫感があります。
布袋滝
三の丸下段は広い敷地があり、庭園が造営されています。
周辺には布袋滝やるり滝など、複数の滝があり綺麗に整備されています。
洗心亭(県指定文化財)
洗心亭という、江戸時代の現存の建物があります。
藩主の釣茶屋として利用されていた建物で、見学も可能です。
日影の井戸
本丸行くには三の丸から山道を登って行きます。
山道とはいっても距離は長くはないので、登山の装備は必要ありません。
道の途中には日影の井戸があります。
井戸の深さは16mもあり、現在でも湧水があります。
二本松城・本丸
大石垣
本丸南まで登ってくると、大石垣が見えて来ます。
大石垣は二本松城で最も古い石垣で、自然石と荒割石を使った石垣です。
蒲生氏郷お抱えの穴太衆が築いたとされる、貴重な石垣ですね。
石垣
本丸は石垣で郭が構築されています。
本丸の石垣は西側は現存していましたが、調査により本丸の形状が判明しました。
現在の石垣は調査結果により、1993~1995年に修築、復元したものです。
枡形虎口
本丸への虎口は折れ曲がっていて、2回曲がらないと本丸内には入れません。
当時は門が建てられていたと思われ、本丸への入口だけあって非常に厳重な造りになっています。
景色
本丸からは城下を一望する事ができます。
山頂なので風がよく通り、爽快です。ベンチがあるので座って休憩するには良い場所です。
天守台
本丸の北には天守台があります。
実際に天守は建てられませんでしたが、立派な天守台です。
天守台の横には戊辰戦争時に自刃した、城代と奉行両名の供養碑があります。
ここでも戊辰戦争の悲劇が伝えられています。
本丸下から見た天守台です。
周囲の石垣より1段高くなっていて、圧巻ですね。
石を割って加工したものを使用した打込接ぎで、横に目地を通さない乱積みで築かれています。
まとめ
二本松城は三の丸虎口の箕輪門を中心とした建造物が迫力満点で、山頂にある本丸の修繕された石垣も見応え十分です。
また、戊辰戦争時の二本松少年隊の悲劇を現代に伝えるかけがえのないお城です。
二本松城ウェブサイト
http://www.nihonmatsu-ed.jp/nihonmatsujyou/index.html
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