千葉県印旛郡酒々井町本佐倉にある本佐倉城(もとさくらじょう)。
1454年から始まる関東の動乱により千葉氏の居城であった千葉城が荒廃した為、千葉輔胤は本佐倉城を築城しました。
本佐倉城は1590年に千葉氏が滅亡するまで、千葉氏9代が居城としました。
16世紀前半には城下町も整備され、下総の政治、経済の中心地となります。
1590年の秀吉による小田原攻めにより、北条氏の支配下にあった千葉氏も滅亡し、城は徳川氏の支配下となります。
1592年に徳川家康の五男である武田信義が佐倉領を拝領し、陣屋を構えます。
現在でも主郭(城山)、奥ノ山、セッテイ山などの曲輪跡、東山の虎口、城山と奥ノ山の大堀切、セッテイ空堀などが残され見どころとなっています。
本佐倉城・基本情報、アクセス
所在地:〒285‐0926 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉781
城 主:千葉氏
形 式:平山城
文化財史跡:国指定史跡
続日本100名城スタンプ:国史跡本佐倉城跡案内所、京成大佐倉駅(改札外)、酒々井町中央公民館
本佐倉城・御城印
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本佐倉城 御城印 1枚300円
本佐倉城の御城印が販売されています。
京成駅前観光案内所(佐倉市観光協会)で、1枚300円で購入する事が出来ます。
本佐倉城の駐車場横にある、国史跡本佐倉城跡案内所でも購入する事が出来ます。
【京成駅前観光案内所(佐倉市観光協会)】
本佐倉城・駐車場
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本佐倉城の東側に「本佐倉城跡 駐車場」があります。
25台程停められる広さの無料駐車場で、トイレは完備しています。
駐車場までの道は狭く注意が必要で、県道137号線の酒々井町役場入口の交差点近くに本佐倉城跡の看板があるので、そこから入って行くと良いです。
本佐倉城・国史跡本佐倉城跡案内所
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駐車場横には「国史跡本佐倉城跡案内所」があります。
続日本100名城のスタンプが設置されていて、24時間押印する事が可能です。
案内所では本佐倉城に関する展示やパンフレットを頂く事が出来ます。
【国史跡本佐倉城跡案内所】
所在地:〒285‐0926 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉825
開館時間:9:00~16:30
入館料:無料
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)・祝日の翌日・年末年始(12月28日~1月4日)
ウェブサイト:国史跡本佐倉城跡案内所
本佐倉城・縄張り図
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本佐倉城は標高36mの台地に築かれ、東西700m、南北800mにおよぶ城域で、周囲は湿地帯の要害となっています。
7つの内郭郡と3つの外郭郡の10つの郭が配置され、台地に谷が複雑に入り組んだ地形で、谷を削り土塁を持った土造りの城郭です。
城の南側には佐倉宿、東側には酒々井宿、北側の鹿取の海に接する浜宿湊が配置され、街道や水運の要衝となっています。
本佐倉城・東山、東山馬場
月星紋の盾
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駐車場のある東山、東山馬場の西側には月星紋の盾が並べられています。
月星紋は千葉氏の家紋で、北極星や北斗七星を神とする妙見を信仰していました。
盾が並べられているとお城の雰囲気があって良いです。
東山虎口
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本佐倉城の北東側には東山と云う郭があります。
東山には東山虎口があり、土塁により狭い通路が折れ曲がる通路が形成されています。
当時の東山虎口の入口と出口には門が設置され、内桝形により厳重な虎口となっていました。
東山虎口は高い土塁と折れ曲がる通路が良好に残されていて、見どころです。
土塁
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東山は尾根上に造られた細長い郭で、南側の駐車場や案内所がある場所は東山馬場です。
東山には高さ2~3m程の土塁が残されていて、北側から迫る敵に備えています。
本佐倉城・Ⅳ郭
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東山の西側にはⅣ郭があります。
Ⅳ郭の東側には虎口跡があり、堀底道の右手には塀跡、道の先には門跡が発見されています。
虎口の先にはⅣ郭の平地があり、東山を見下ろす事が出来ます。
本佐倉城・城山(主郭)
大堀切
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Ⅳ郭から城山、奥ノ山に向かう道があり、通路は大堀切で造られています。
大堀切は城山と奥ノ山の間にあり、深さは6m、通路には門跡が見つかっています。また、城山と奥ノ山を行き来する為の木橋が架けられていたと考えられています。
大堀切は深く、両側の切り立った傾斜が迫り、迫力があり見どころです。
城山虎口
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城山の虎口は登り坂になっていて、真っすぐ進めないように左に折れています。
虎口跡には門と塀の跡も発見されていて、左に曲がった先にも城山に入る為の門が建てられていました。
城山に入る為の唯一の道で、横矢が意識された虎口は厳重で見応えがあります。
城山内部
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本佐倉城の東側に城山があり、城主が過ごす空間となっていました。
城山には主殿や会所、櫓、庭園などの跡が確認され、かわらけや天目茶碗、鉄砲玉、永楽通宝などの様々な出土品が見つかっています。
城山の周囲には土塁の跡もあり、他の郭より良好に残されている印象を受けます。
本佐倉城・奥ノ山
土塁、妙見宮跡
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城山の南西側に奥ノ山と云う郭があります。
奥ノ山には発掘調査により14m四方の基壇が発見されていて、妙見宮の跡と考えられています。
妙見宮は千葉氏の氏神で、ここで五代と八代の城主が元服を行っています。
妙見神社
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奥ノ山の南側には妙見神社があります。
元々は妙見宮跡にあった神社ですが、この場所に移されています。
本佐倉城・倉跡
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奥ノ山の西側には倉跡があります。
倉跡は本佐倉城の内郭群で最も広い郭で、炭化米が見つかっている事から倉が建っていたと考えられています。
本佐倉城・セッテイ山
セッテイ空堀
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倉跡の西側にはセッテイ山と云う郭があります。
セッテイ山の西側には空堀が築かれていて、深さは16mもあり本佐倉城で最も大規模なものとなっています。
セッテイ空堀の深さと幅広さは圧倒的で迫力があり、見どころです。
セッテイ虎口
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セッテイ山の北側には虎口跡があります。
虎口は坂道で緩やかに曲がり、両側は土塁が築かれています。
発掘調査はされていませんが、門があったと考えられています。
空堀
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セッテイ山と倉跡の間には空堀が築かれています。
空堀は深さが10mあり、左右が見通せないように折れ曲がっていて、幅もかなり広いものとなっています。
セッテイ空堀よりも深さはないですが、幅広く、折れ曲がる空堀は良好に残されていて見どころです。
本佐倉城・東光寺ビョウ
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セッテイ山の北東側には東光寺ビョウと云う郭があります。
東光寺ビョウの南側には虎口跡があり、発掘調査により木戸跡や柵裂跡などが見つかっています。
まとめ
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【本佐倉城の見どころ】
・東山、東山馬場にある高い土塁と折れ曲がる東山虎口
・城山と奥ノ山の間に築かれた深く鋭い大堀切
・セッテイ山西側の城内最大級のセッテイ空堀
・セッテイ山と倉跡の間の幅広く、折れ曲がる空堀
ウェブサイト:本佐倉城跡/千葉県佐倉市公式ウェブサイト
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