愛知県西尾市にある寺部城。
最初に築城された時期や人物は分かっていません。
しかし、1514年に小笠原定政が早川三郎を倒して寺部城主になった事が分かっています。
以後、代々幡豆小笠原氏の居城となり、永禄の初め頃は今川氏に従い、その後は徳川家康に従いました。
1590年に徳川家康が関東に移封されると小笠原氏もこれに従い関東に移り、寺部城は廃城となりました。
寺部城は三河湾の海岸線から約250m、舌状に延びた山地の標高30m程の位置に築城されています。
このことから小笠原氏は水軍として活躍し、1600年の関ヶ原の戦いでは九鬼水軍の抑え、敵船を乗っ取るなどの戦功を上げています。
現在では本丸、二の丸の曲輪跡があり、本丸の土塁、竪堀、空堀が残され見どころをなっています。
寺部城・基本情報、アクセス
所在地:〒444‐0702 愛知県西尾市寺部町堂前
城 主:小笠原氏
形 式:連郭式平山城
文化財史跡:市指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
寺部城・駐車場
寺部城の北側に駐車場があります。
5台ほど止められる小さな駐車場です。トイレは城跡含めありません。
寺部城・縄張り図
寺部城は三河湾から250mほど離れた、標高29.7mの舌状の台地に築かれた連郭式平山城です。
中心に本丸があり、西側に二の丸、三の丸、南側に屋敷、東側にも2つの郭が配置されています。
西側と南側に重点を置いた縄張りとなっているようです。
寺部城・登城口
入口
駐車場の目の前に寺部城の登城口があります。
ここから本丸までは歩いて5分程で行くことができます。
空堀
登城口から歩いて行くと本丸の東側の空堀が見えて来ます。
現在は通路となっていますが、当時は本丸背後の空堀として機能していました。
空堀は深さが6~7m、幅は広い所で5~6m程あり良好に残されています。
空堀は寺部城でも一番良好に残され迫力ある遺構で、見どころです。
寺部城・二の丸
曲輪内部
本丸の西側に二の丸があります。
二の丸は本丸より一回り小さな曲輪となっています。
さらに西側には三の丸が配置されていますが、現在は畑となっていて行くことができません。
竪堀
二の丸の北側には竪堀があります。
竪堀は深さが2~3m程あり、麓へ向かって落ちて行っています。
竪堀は敵が斜面を横移動するのを防ぐ効果があり、更に竪堀を登って来た敵を狙い撃ちする事ができます。
寺部城・本丸
曲輪内部
標高30mの頂上に本丸があります。
本丸にはベンチや寺部城の説明板、本丸址の標識が設置されています。
土塁
本丸の北側と東側には土塁が残されています。
土塁は高さが2~3mほどありL字になっていて、先端側には木の柵が建てられています。
本丸の土塁は寺部城でも良好に残されている遺構なので見どころです。
景色
本丸の南側には三河湾を望むことができます。
幡豆小笠原氏は戦国時代に徳川家の船手衆として活躍しました。
また、小笠原諸島は1592年に小笠原貞頼が発見したことに因んで名づけられたと云われています。
小笠原氏は海と密接な関係性にあったと実感する事ができます。
まとめ
寺部城は本丸の土塁と東側の空堀が見どころです。
比較的コンパクトな城跡で海も見る事ができるので、気軽に見学できるお城です。
寺部城(西尾市)のウェブサイト
https://nishiokanko.com/list/shop/terabe/
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