奈良県生駒郡平群町にある信貴山城(しぎさんじょう)。
南北朝時代に楠木正成により築城されたと云われていますが、裏付ける資料はありません。
1536年に河内畠山氏の重臣である木沢長政が本格的な築城を行いますが、三好氏、細川氏との戦いに敗れ城も落城しました。
1559年に三好氏の重臣である松永久秀が入城し大和支配の拠点としました。この時に雄嶽山頂部に天守(高櫓)が建てられたと云われています。
1577年に織田信長に背き信貴山城に籠城しますが織田の大軍に囲まれた為、信長が所望していた平蜘蛛の茶釜を壊し、自害しました。
現在でも標高437mの信貴山には松永屋敷や立入屋敷などの多数の曲輪跡があり、土塁や虎口跡、堀切などが残され見どころをなっています。
信貴山城・基本情報、アクセス
所在地:〒636-0922 奈良県生駒郡平群町信貴山1308
城 主:木沢長政、松永久秀
形 式:山城、連格式
文化財史跡:町指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
信貴山城・御城印
信貴山城 御城印 1枚300円
信貴山城の御城印が販売されています。
信貴山朝護孫子寺の南側に「信貴山観光iセンター」で1枚300円で購入する事が出来ます。
信貴山城・駐車場
信貴山城の南側にある信貴山朝護孫子寺の駐車場を利用しましょう。
40台程停められる有料駐車場で、1回500円となっています。トイレは駐車場内にあります。
また、第一駐車場の奥に50台程停められる広さの、第二駐車場もあります。
信貴山城・縄張り図
信貴山は標高433mの信貴山雄嶽を中心に築かれている山城です。
城域は大きく南に雌嶽、中心部に雄嶽、北側の尾根の3つに分かれていて、大小120の曲輪が築かれています。
尾根に段々と築かれた曲輪は切岸や土塁などを築き守りを固めています。
信貴山城・登城口
信貴山城の登城口は朝護孫子寺の境内にあります。
登城口は本堂の手前にあり、ここから天守のあった雄嶽までは歩いて20~30分程掛かります。
信貴山城・雌嶽
信貴山城の南側には雌嶽があります。
雌嶽は標高399mの尾根となっていて、当時は宮部与助や加藤氏の屋敷があったとされています。
尾根の南側には空堀跡があり、深さは1m程の遺構となっています。
信貴山城・雄嶽
石碑
信貴山城の最高所に雄嶽があり、石碑と説明板が設置されています。
信貴山の山頂にあり細長い曲輪となっています。
天守跡
雄嶽の西側には空鉢護法堂があります。
当時はこの場所に天守があったとされ、1577年に松永久秀が籠城した際に最後に攻め落とされたと云われています。
信貴山城・立入屋敷
立入屋敷内部
雄嶽の北側には立入屋敷跡があります。
立入屋敷は信貴山城の北側尾根群と雄嶽を繋ぐ要の場所で、信貴在城衆の一人である立入勘助の屋敷跡であったとされています。
信貴在城衆は信貴山城の松永氏の政治の実務を行った家臣団で、重臣であったと思われます。
切岸
立入屋敷の北側の斜面には切岸が築かれています。
信貴山城では切岸を中心にして防御を固めていて、立入屋敷直下の切岸は傾斜がきつく圧巻です。
立入屋敷北側の切岸は急斜面となっていて信貴山城の見どころです。
信貴山城・松永屋敷
土塁
立入屋敷の北側の尾根に松永屋敷があります。
松永屋敷の西側に一部には土塁が残されていて、当時の様子を垣間見る事が出来ます。
松永屋敷西側に残る土塁は規模が大きく見どころです。
虎口跡
松永屋敷の東側には虎口跡があります。
虎口は両側に土塁を築き四角い桝形の空間を造られていて、横矢が意識されています。
松永屋敷東側に残る虎口は土塁で築かれた桝形が残り見どころです。
松永屋敷内部
松永屋敷は信貴山城の中心部に位置し、松永久秀の居館であったと考えられています。
松永屋敷は尾根を造成して広大な平坦地を造り、土塁や門などを配しています。
水の手
松永屋敷の東側には水の手があります。
水の手は谷部にあり、現在でも水が湛えられていて、城内の水源であったと思われます。
信貴山城・北西側尾根
空堀
北西側の尾根の曲輪には礎石建物跡があったと縄張り図に書かれています。
また、曲輪と曲輪の間には空堀が築かれている場所があります。
空堀は深さが2~3m程あり、信貴山城の貴重な遺構となっていて見どころです。
堀切
更に尾根の先に進むと堀切らしき遺構があります。
縄張り図を見ると切通しとなっているようで、上部の曲輪からの高低差は10m程はあり、かなり大きな規模となっています。
北西側尾根の先にある堀切は大きく迫力があり見どころです。
まとめ
【信貴山城の見どころ】
・立入屋敷の北側先端部に築かれている急峻な切岸
・松永屋敷西側に残されている高さ3~4m程の大きな土塁
・松永屋敷東側に築かれている土塁の桝形が残る虎口跡
・北西尾根に残る空堀と規模の大きな堀切(切り通し)
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