静岡県静岡市の蒲原城です。
室町時代前期に今川氏が駿河守護として入国した後に、今川氏の一族により築城されたとされています。
特定の城主はいなかったらしく、城代や城番が置かれていました。
1569年に北条方の北条新三郎が守城の時に本曲輪の改修が行われましたが、武田氏の攻撃により落城しました。
蒲原城は武田氏の管理下に置かれましたが、1582年に徳川氏の攻撃により落城しました。
1590年の小田原征伐の際に徳川勢の着陣の後、蒲原城は廃城となりました。
現在では善福寺曲輪(北曲輪)に逆茂木が再現されている他、本曲輪と善福寺曲輪間の堀切や石垣、堀、土塁が残されていて見どころとなっています。
蒲原城・基本情報、アクセス
所在地:〒421-3203 静岡県静岡市清水区蒲原2528
城 主:北条氏、武田氏、徳川氏(城番、城代などによる管理)
形 式:平山城
文化財史跡:市指定史跡
日本100名城スタンプ場所:該当無し
蒲原城・駐車場
蒲原城の東側に蒲原城の専用駐車場があります。
10台ほど駐められる広さの無料駐車場です。トイレは道路の反対側にありますが、綺麗ではなかったです。
蒲原城・東曲輪
大空堀
東曲輪の横に大空堀があります。
冬に訪れたのですが、草木が生い茂り写真を撮るとほとんど分かりません。
現地で見てみると大空堀は深さ2~3mの深さがあり、10mほどに渡り築かれていることが分かります。
蒲原城・腰曲輪
横堀
善福寺曲輪の一段下に腰曲輪があります。
腰曲輪の外側には横堀が築かれていて、深さは1~2m程と浅めですが堀と土塁の跡がハッキリと分かります。
石垣
腰曲輪から善福寺曲輪の石垣が築かれている事が分かります。
石垣は野面積みで高さは1~2mで善福寺曲輪の下部に渡り築かれていて、腰巻石垣のような遺構となっています。
腰巻石垣は彦根城や江戸城で築かれていて、石垣の節約、築城労力の削減といった効果があります。
腰曲輪の奥に進むと苔生した石垣があり、長年の歴史を感じます。
近世城郭の綺麗な石垣も良いですが、このような苔生した石垣も良いです。
蒲原城・善福寺曲輪(北曲輪)
虎口跡
善福寺曲輪の虎口には逆茂木が再現されています。
現在の善福寺曲輪の入口はここですが、当時の虎口は別の場所だったかも知れません。
逆茂木
善福寺曲輪の外周部にも逆茂木が再現されています。
逆茂木の再現はなかなか見たことがなかったですが、中世の城はこのような防御機構がメインだったのでしょう。
文献に基づかずに有りもしない天守閣や櫓を建ててしまうより、良い再現だと思います。
展望台と資料展示
善福寺曲輪には2基の展望台が設置されています。
もちろん登る事ができ、なかなかの眺望です。
蒲原城で発掘されたものを紹介している資料展示もあります。
中国の古銭や陶磁器、鉄砲の玉や刀身など様々な物が発掘されているようです。
土塁
善福寺曲輪の逆茂木の反対側の外周部には、土塁が築かれています。
土塁の高さは1m弱ですが、20m程の長さがあり綺麗に残されています。
蒲原城・本曲輪
堀切
本曲輪と善福寺曲輪の間には堀切が築かれています。
堀切は深さが3m、幅は3~4m、長さが10m程もあり、大規模な遺構となっています。
本曲輪直前なので力の入れ方が違います。
堀切は蒲原城で一番迫力があるので見どころです。
鳥居と神社
本曲輪は標高138mの山頂に築かれていて、現在は鳥居や神社が建てられています。
本曲輪にお城の遺構はほとんどなく、善福寺曲輪が一番整備されている印象を受けます。
また、本曲輪の南側には二の曲輪や大手曲輪があったようですが、現在は草木に覆われていて行くことができません。
景色
本曲輪の北側からは善福寺曲輪と富士山を見る事ができます。
この日は雲がかかっていて、少しだけ富士山を見る事ができました。
まとめ
蒲原城は本曲輪と善福寺曲輪間の堀切や、善福寺曲輪の石垣、腰曲輪の空堀が見どころです。
意外と遺構がたくさん残されているので、見どころが多いです。
また、天気が良ければ富士山も見る事ができるので、オススメのお城です。
蒲原城ウェブサイト
https://www.visit-shizuoka.com/spots/detail.php?kanko=325
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