愛知県豊田市にある高月院。
1367年に足助重政が松平郷主在原信重の支援を受け、「静寂寺」として建立したことに始まります。
1377年に松平親氏が本尊阿弥陀仏や堂などを寄進して、「高月院」と改めしました。
以後、松平家の菩提寺となります。
徳川家康から寺領100石を与えられ、明治維新まで将軍家に保護を受けました。
現在でも江戸時代に建てられた本堂や山門が現存し、見どころとなっています。
高月院・基本情報、アクセス
所在地:〒444‐2202 愛知県豊田市松平町寒ケ入44
宗 派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
高月院・駐車場
高月院の入口に駐車場があります。
駐車場は5台程停められる広さの駐車場です。
高月院・境内
総門
高月院の入口には総門があります。
総門は1641年に建立された高麗門と云う形式の門です。
門に掲げられた高月院や周囲の土塀が合わさって風光明媚な雰囲気がします。
参道(下乗)
総門の先には真っすぐ伸びた参道があり、途中に下乗と云われる場所があります。
下乗とは馬や駕籠から降りる場所であり、ここから先は仏様の領域という事になります。
石垣
下乗の横には石垣があります。
石垣がいつの時代に積まれたかは分かりませんが、横に目地が通っている布積みのようです。
石の表面にはすだれのような化粧が施されていて、石垣は高月院の見どころです。
山門の横には石垣と塀で造られた通路があります。
左に折れ曲がる桝形虎口のようで、城郭のような印象を受けます。
門を2ヵ所に建てて土塀に狭間を切ったら、もうお城です。
本松三十三観音(百度石)
参道には三十三観音と百度石があります。
観音様は三十三の姿に変身する事ができると云われています。
横には百度石と云われるものがあり、150年前に失明した人が百度お参りした結果、願いが叶い目が見えるようになったと伝えられています。
手水舎
三十三観音の隣には手水舎があります。
高月院の手水舎は片側が漆喰のような台で、反対側には木の柱が組まれて瓦屋根が載せられています。
面白い形の手水舎です。
仏足石
手水舎の横には仏足石があります。
仏足石はお釈迦さまの足跡で、お釈迦様の代理であります。
足の裏に描かれているものは千輻輪というものです。
山門
参道の奥には山門があります。
山門は18世紀前半に建立されたと云われ、両側には土塀が築かれています。
山門は四脚門と云う形式の門で、屋根は切妻造り瓦葺きとなっています。
ここの瓦にも徳川家の葵の御紋が刻まれています。
本堂
本堂は1641年に建立されました。
現在、入母屋造りの大きな屋根は瓦葺きとなっていますが、当時は檜皮葺きであったとされています。
桁行9間(16.4m)、梁間7間(12.7m)ある大型のお堂となっています。
江戸時代から明治時代に幾度も修復が行われました。
特に1792年に行われた寛政の総修復では棟札に幕府の老中6名、寺社奉行5名、見分4名の名前が書かれており、相当な力を入れて修復が行われたと思われます。
江戸時代から伝わる本堂は見どころです。
松平氏墓所(国指定文化財)
本堂の左手奥に松平氏墓所があります。
松平氏墓所は徳川家康の祖先である、松平氏のお墓です。
一番高い所には中央に松平親氏、右側に2代泰親、左側に4代親忠夫人の墓塔があります。
墓塔はいずれも室町時代中期から後期に造られたと考えられています。
墓所は文政年間に11代将軍徳川家斉、明治時代に大和郡山藩主柳沢保伸が修築を行っています。
まとめ
高月院は江戸時代に建立された本堂や山門が見どころで、六所山の山麓に立ち並ぶ総門や土塀も風光明媚で壮観です。
徳川家康の祖先である松平氏の菩提寺で、松平氏墓所や幕府により修築された本堂など歴史ある寺院となっています。
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