愛知県犬山市にある羽黒城。
1201年に梶原景時(鎌倉幕府の有力御家人)の次男景高の子の梶原景親が築城しました。
戦国時代、梶原景義の時には織田信長に仕えて3千石の領主となります。
しかし、1582年に起きた本能寺の変の際に景義は殉死した為、羽黒城は廃城となります。
1584年の小牧長久手の戦いの前哨戦である羽黒合戦で羽黒一帯は焼け野原となります。
秀吉は城跡を改修し山内一豊に守らせますが、戦いが終わると廃城となります。
現在城跡は竹林公園として整備され、土塁や堀が残され見どころとなっています。
羽黒城・基本情報、アクセス
所在地:〒484-0894 愛知県犬山市羽黒摺墨2
城 主:梶原景親、梶原景義など
形 式:平城
文化財史跡:ー
日本100名城スタンプ:該当なし
羽黒城・駐車場
羽黒城に専用駐車場はありません。
しかし、羽黒城の南西に興禅寺があり、参拝する事を前提にこちらの駐車場をお借りすると良いでしょう。
10台程停められる無料駐車場で、トイレは境内にあります。
羽黒城、興禅寺付近の道路は狭い為、注意が必要です。
興禅寺
山門
興禅寺の入口には山門があります。
山門は1939年に造営された門で、両側の築地塀と松が印象的できれいに整備されています。
本堂
興禅寺の本堂は1898年に建てられたもので、桁行5間、梁行5間の寄棟造りで二重屋根は瓦葺きとなっています。
2006年に国登録文化財に指定された貴重な建築物となっています。
梶原景時夫妻の供養塔
興禅寺は1174年に梶原景時が真言宗光善寺を創建した事が始まりです。
梶原景時は鎌倉時代の重臣であった人物で、1200年に北条氏との政争に敗れ鎌倉から京都に向かう途中に討たれてしまいます。
逃げ延びた梶原景時の孫、景親が羽黒に館を構え、梶原氏の380年の居城となります。
ゆかりの深い興禅寺には現在、梶原夫妻の供養塔と一族の五輪塔があります。
羽黒城・本丸
梶原屋敷の土塁
興禅寺の北東隅には土塁跡が残されています。
土塁は梶原屋敷のものとされ、高さは2m程で手前にフェンスがある為上部のみ見学する事ができます。
土塁は羽黒城の貴重な遺構で、見どころの一つとなっています。
説明板と四阿
羽黒城跡にある羽黒城址公園には、羽黒城の説明板や四阿が建てられています。
説明板には羽黒城の歴史だけではなく、「どのような城であったのか」や、出土品の写真なども掲載されています。
土塁
羽黒城址には土塁が残されています。
土塁は高さが3~4m程はあり、この辺りに羽黒城があった事がうかがえます。
土塁は羽黒城の面影を見る事ができる遺構で、見どころです。
空堀
土塁の横には空堀のような溝があります。
溝の深さは1m位で、特に明示や説明がされていないので空堀なのか別のものなのかは分かりません。
空堀であれば羽黒城の貴重な遺構となります。
石碑
土塁の後ろ側に回り込むと土塁上に続く道があり、先には石碑が立てられています。
羽黒城の石碑で、この場所が羽黒城址があった事が分かり、ひっそりと住宅街の中に佇んでいます。
まとめ
羽黒城は梶原氏館の土塁と羽黒城址に残る土塁が見どころです。
羽黒城のすぐ近くの興禅寺は梶原景時が開創した寺院で、景時夫妻の供養塔や一族の五輪塔があるので、こちらも見学すると良いでしょう。
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