臼杵城の御城印や駐車場、見どころを紹介!

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お城

大分県臼杵市にある臼杵城。

1556年に大友義鎮(宗麟)が臼杵湾に浮かぶ丹生島に築城した海城です。

大友義鎮は居城を大分府内城から臼杵城に移し、1559年には九州6ヵ国の守護職、九州探題に任命されます。

1578年に大友義鎮は臼杵の教会で洗礼を受けキリスト教徒となり、キリシタン大名として有名になります。

1586年に島津軍の侵攻を受けますが、ポルトガルから手に入れたフランキ砲で島津軍を撃退しますが、翌年大友義鎮は死去します。

1593年に大友氏が滅亡し、1594年に太田一吉が臼杵城主となり臼杵城を石垣と瓦葺建物の城郭へと改修します。この時に天守も建てられました。

1600年に中川氏が臼杵城を攻めると太田一吉は逃亡し、関ヶ原の戦い後に稲葉氏が城主となります。

その後、1871年の明治維新まで稲葉氏が代々城主となります。1873年に城内の建物が一部を除き払下げされます。

現在城跡は臼杵公園として整備され2025年に国の史跡に指定されます。

古橋口には畳櫓、卯寅口には卯寅口門脇櫓が現存、二の丸虎口に大門櫓が復元、二の丸や本丸の石垣、天守台などが残され見どころとなっています。

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臼杵城・基本情報、アクセス

所在地:〒875‐0041 大分県臼杵市臼杵丹生島

城 主:大友義鎮(宗麟)、太田一吉、稲葉氏

形 式:海城、平山城、連郭式

文化財史跡:国指定史跡

続日本100名城スタンプ:臼杵市観光交流プラザ

臼杵城・御城印

臼杵市観光交流プラザ

 臼杵城 御城印 1枚500円(大友、稲葉家紋入り)

臼杵城の御城印が販売されています。

臼杵城の西側にある「臼杵市観光交流プラザ」で1枚300円で購入する事が出来ます。(大友、稲葉家紋入りは500円)

観光交流プラザには続日本100名城のスタンプも設置されています。

【臼杵市観光交流プラザ】

所在地:〒875‐0041 大分県臼杵市大字臼杵100‐2

開館時間:9:00~17:00

休館日:なし

ウェブサイト:臼杵市観光交流プラザ|臼杵市役所

臼杵城・駐車場

市営下屋敷前駐車場

臼杵城の西側に「市営下屋敷前駐車場」があります。

42台停められる広さの有料駐車場です。トイレは観光交流プラザや臼杵城内(臼杵公園内)にあります

【市営下屋敷前駐車場】

所在地:〒875‐0041 大分県臼杵市大字2番6

営業時間:24時間

料 金:1時間以内は100円(30分まで無料)以降30分毎に50円、19:00~翌日9:00までは無料

臼杵城・縄張り図

臼杵城の縄張り図(現地案内板より)

臼杵城は臼杵湾の最奥にある丹生島に築かれた海城です。

北、東、南側を海に囲まれ、西側は干潮時に干潟の陸地で繋がる天然の要害で、西側の干潟を埋め立て三の丸としています。

丹生島の西側に大手口、二の丸があり、空堀を挟んだ東側に本丸が配置されています。(大友氏時代は本丸と二の丸が逆となっていた)

臼杵城・二の丸

大手口

大手口から見える堀、石垣、畳櫓、大門櫓

丹生島の西側に大手口があり、石垣や畳櫓、大門櫓等を一望する事が出来ます。

橋を渡った先は曲がりくねった登り坂となっていて、鐙坂と呼ばれています。

鐙坂は岩盤を削って造られた坂で、大友宗麟時代の貴重な遺構となっています。

畳櫓

祇園社から見てたつみの方向にある、または中に畳が敷かれていた名付けられた畳櫓

鐙坂を登って行くと右手に畳櫓が見えて来ます。

畳櫓は正保年間(1644~1648年)に建てられた二重二階の櫓で、1763年の大火で焼失してしまいます。

しかし、明和年間(1764~1772年)に再建され、現在まで現存する貴重な櫓となっています。

畳櫓は桁行4間(7.92m)、梁行3間(4.44m)の1階と2階の大きさが変わらない重箱櫓で、臼杵城の貴重な城郭建築物となっていて見どころです。

大門櫓

二の丸西側に建つ大門櫓

二の丸の入口には大門櫓があります。

大門櫓は稲葉氏が入城した後の17世紀初頭に建てられた櫓門で、1763年の大火で焼失した後1768年に再建されましたが明治時代に取り壊されてしまいます。

現在の大門櫓は宝暦大火以降の古絵図や明治初年の写真、発掘調査の成果を基に、2001年に復元されました。

両側の石垣と合わせて堂々とした櫓門で、見応えがあります。

二の丸内部

二の丸に立つ説明板

二の丸は丹生島の西側にある大きな曲輪です。

発掘調査により1557年と1588年の火災で焼けた土層から瓦が見つかっていない事から、建物は瓦葺きではなかった事が確認されています。

また、中国の青花磁器や赤絵金襴手椀などの高級磁器が多数見つかっていて、大友城主時代の居館があったと推定されています。

二の丸内に建立されている臼杵護国神社

また、江戸時代には書院造りの棟を繋げた二の丸御殿が建てられていました。

二の丸御殿は政務や儀式を執り行う「表」と、藩主が生活する「奥」に分かれていました。

御殿の北側には凌雲亭と呼ばれる茶室が建てられている時期もありました。

着見櫓跡

着見櫓台の石垣

二の丸には井楼櫓や会所櫓、着見櫓などの建物も建てられていました。

現在は建物はないですが、太田氏以降に築かれたと思われる櫓台の石垣が残されていて迫力があります。

臼杵城・本丸

虎口、空堀、石垣

本丸と二の丸の間の空堀、本丸側の石垣、虎口跡

本丸と二の丸の間には大きな空堀が築かれています。

空堀は幅が10m程、本丸側の石垣は高さが7m程あり、土橋にも石垣が築かれていて壮観です。

土橋を渡った先には鉄門桝形と呼ばれる桝形が石垣と門で形成されていて、現在でも大きな鏡石が残されています。

本丸と二の丸の間の空堀、石垣、桝形虎口跡は良好に残されていて、規模が大きくて迫力があり見どころです。

本丸内部

本丸内部の様子(亀首櫓跡)

本丸は二の丸の東側にあります。

二の丸よりも標高が低く大友氏時代は二の丸として機能していた可能性があります。

1600年の関が原の戦い以降に稲葉貞通と典道は空堀、土橋、鉄門を整備して本丸を強化しました。

また、本丸御殿が建てられ政務が行われていましたが、城下町や三の丸から離れている為、1676年に二の丸に機能が移ります。

卯寅口門脇櫓

1676年の絵図に御鉄砲薬櫓と記載されている卯寅口門脇櫓

本丸南側の卯寅口(搦め手口)には、卯寅口門脇櫓があります。

卯寅口門脇櫓は17世紀前半の絵図に描かれていて、江戸時代に何度か建て替えられています。

現在の櫓は棟札から1854年に建てられたもので、屋根は切妻造り、内部は地階、1階、2階と三重構造、外観は二重となっています。

卯寅口門脇櫓は江戸時代の貴重な櫓で、内部が3重、外観が二重と珍しい構造となっていて見どころです。

天守台

当時は三重四階の天守が建てられていた天守台

本丸の北西隅に天守台があります。

太田氏時代に三重四階、高さが6間(11.7m)、平面が6間四方の天守が建てられていました。

当時の天守台の石垣の高さは7m程ありましたが、大正時代に上部3m程が壊されましたが、現在でも4m程の高さの天守台が残されています。

景色

本丸東側からの景色

本丸の東側からは臼杵湾を見る事が出来ます。

臼杵湾に浮かぶ津久見島や地無垢島、地無垢島が見えて臼杵城が海城であった事が分かります。

臼杵市歴史資料館

臼杵市歴史資料館

臼杵城から南西に1㎞程の所に「臼杵市歴史資料館」があります。

資料館では臼杵城で出土した大友氏時代の遺物や近世の天守瓦、絵図などが展示されているので、臼杵城とセットで見学したい場所となっています。

【臼杵市歴史資料館】

所在地:〒875‐0052 大分県臼杵市大字市浜808‐1

開館時間:9:30~17:30(入館は17:00まで)

入館料:一般330円、学生160円

休館日:火曜日(祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日

ウェブサイト:臼杵市歴史資料館|臼杵市役所

まとめ

大手門公園から見る臼杵城

【臼杵城の見どころ】

江戸時代(明和年間)に再建され臼杵城の貴重な城郭建築物である畳櫓

江戸時代(1854年)に建てられ現存する内部三階、外観二重の卯寅口門脇櫓

本丸と二の丸の間の大規模な空堀と高さ7mの石垣、鏡石が残る鉄門桝形跡

ウェブサイト:臼杵城跡|臼杵市役所

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