埼玉県富士見市にある難波田城(なんばたじょう)。
鎌倉時代に村山党金子氏の金子高範が承久の乱で戦い、子孫に難波田の地が与えられ子孫が難波田氏を名乗りました。
南北朝時代に難波田九郎三郎は羽祢蔵合戦で高麗経澄と戦いますが敗れます。
戦国時代に難波田弾正善銀は扇谷上杉氏の家臣として活躍しますが、1546年に河越合戦で北条氏と戦い敗れます。
その後、難波田氏は北条氏の家臣となり、難波田城は北条氏家臣の上田氏が管理しました。
1590年の小田原征伐で北条氏が豊臣秀吉により滅ぼされると、難波田城は廃城となります。
現在は難波田城公園として整備され、城跡ゾーンの復元木橋や追手門、水堀、古民家ゾーンの旧金子家住宅、旧大澤家住宅、旧鈴木家表門、難波田城資料館などがあり、見どころとなっています。
難波田城・基本情報、アクセス
所在地:〒354‐0004 埼玉県富士見市下南畑568‐1
城 主:難波田氏
形 式:平城
文化財史跡:埼玉県旧跡
日本100名城スタンプ:該当なし
難波田城・駐車場

難波田城の東側に「難波田城公園駐車場」があります。
20台程停められる広さの無料駐車場で、トイレも駐車場内に完備しています。
また、南側には「難波田城公園南駐車場」があり、こちらも20台程停められる広さとなっています。
難波田城・城跡ゾーン
復元木橋

東側の駐車場から城跡に入ると橋があります。
この橋は曲輪2と曲輪3の間に架かる橋で、発掘調査により木橋跡が確認され復元したものとなっています。
橋の幅が曲輪3側が2.7mに対して、曲輪2側は1.8mとなっていて敵が攻め難いように工夫されています。
曲輪1

難波田城の北側に曲輪1があります。
曲輪1は古絵図に本城と記載されていて、東西70m、南北50mの大きさとなっていました。
発掘調査により難波田城で最古の15世紀頃の大型建築物跡が確認され、城が改修されるたびに盛り土がされていた事が分かっています。
追手門

曲輪4の入口には追手門が建てられています。
追手門は現在の難波田城で一番大きく立派な門となっていて、お城の雰囲気を感じる事が出来ます。
追手門の先に進むと曲輪3の喰い違い虎口跡があり、通路が折り曲げられている様子を見る事が出来ます。
水堀

難波田城は湿地帯に築かれた平城で、三重の堀と土塁に囲まれた要害でした。
城跡は公園として整備され、広大な水堀が復元されていて、当時の様子を垣間見ることが出来ます。
難波田城資料館

曲輪4の横に難波田城資料館があります。
資料館では城主の難波田氏の歴史や江戸時代の農村文化、近世の富士見市の歴史などの展示があります。
無料で拝観する事が出来るので、必見の場所となっています。
【難波田城資料館】
所在地:〒354‐0004 埼玉県富士見市下南畑568‐1
開館時間:9:00~17:00
入館料:無料
休館日:月曜日、祝日の翌日、年末年始(12月29日~1月3日)
ウェブサイト:難波田城公園(資料館)
難波田城・古民家ゾーン
旧鈴木家表門(市有形文化財)

古民家ゾーンの入口には旧鈴木家表門があります。
江戸時代に針ヶ谷村の名主であった鈴木家の表門で、明治時代中期に建てられたと云われています。
大変立派な門で手前には梅も咲いていて風情のある景色となっています。
旧大澤家住宅(市有形文化財)

旧鈴木家表門を先には旧大澤家住宅があります。
江戸時代に大久保村の名主をつとめていた大澤家の母屋として、1871年に建てられました。
式台の玄関が武家屋敷のようで風格があり、内部は多数の部屋と大きな土間の台所があり、見応えがあります。
旧金子家住宅(市有形文化財)

古民家ゾーンには旧金子家住宅もあります。
市内の水子に建てられていた民家で、1871年に建てられました。
油商を営んでいた為、揚げ戸などの商屋の造りが残されています。
まとめ

【難波田城の見どころ】
・曲輪2と曲輪3の間に復元された木橋
・曲輪4の入口に建てられている難波田城で最も大きい追手門
・明治時代に建てられた式台を備えた玄関が風格ある旧大澤家住宅
ウェブサイト:難波田城公園(資料館)
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