群馬県渋川市にある白井城。
築城時期は不明ですが、上野の守護代を務めた長尾景忠が白井の地に入り、長尾景仲の時に築城したと云われています。
長尾景仲は関東管領上杉憲実、憲忠、房顕に仕え、「関東無双の案者(知恵者)」と云われ、雙林寺の建立や京都から儒学者 藤原清範を招いて教育を行いました。
戦国時代になると、1567年に武田信玄の家臣である真田幸綱、信綱により白井城は落城しますが、その後白井長尾氏が奪還します。
1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの際に前田利家、上杉景勝軍により開城され、徳川家康の家臣である本多広孝に与えられました。
本多康重が2万石で城主となり、真田昌幸の抑えの城となります。
本多紀貞が跡を継ぎますが、継嗣がいなかった為、1624年に廃城となります。
現在でも本丸や二の丸、笹曲輪などの曲輪跡があり、本丸の虎口の石垣や三日月堀、土塁などが残され見どころとなっています。
白井城・基本情報、アクセス
所在地:〒377‐0204 群馬県渋川市白井581
城 主:白井長尾氏、本多氏
形 式:崖端城
文化財史跡:市指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
白井城・駐車場
白井城の専用駐車場はありませんが、白井城本丸に駐車できるスペースがあります。
正規の駐車場ではないので、自己責任で利用しましょう。本丸内に仮設トイレはあります。
少し距離は遠くなりますが、白井城から北へ500m程の所に道の駅こもちがあります。
駐車台数も多く無料なので、道の駅を利用しつつゆっくり散策するには良いです。
白井城・二の丸
本丸の北側に二の丸があります。
二の丸は現在畑となっていて個人の土地になっているようです。
二の丸の北側には三の丸や北の丸があり、広大な曲輪となっています。
白井城・本丸
土橋跡
二の丸の南側に本丸があり、二の丸と本丸は土橋が接続しています。
土橋の両側は空堀が築かれていて、城郭の遺構が良く残されている印象を受けます。
石垣
本丸北側の虎口は桝形門形式となっていて、現在でも石垣の一部が残されています。
石垣は自然の石を利用した野面積みとなっていて、本多氏時代に築かれたものと云われています。
本丸の虎口は石垣により桝形門の形が想像する事が出来て、見どころです。
土塁
本丸虎口の横には土塁が築かれています。
土塁は高さが5~7m程あり、本丸の東側に100m程に渡り良好に残されています。
本丸の土塁は高く迫力があり、平地が続く東側の重要な遺構で見どころです。
三日月堀
本丸の北東側に三日月堀があります。
三日月堀は深さが8~10m、幅は10m程あるかと思われ、規模が大きく迫力があります。
三日月堀は武田氏が城を領有していた時代に築かれたものと云われ、白井城で最も良好に残されているので見どころです。
石碑
本丸の北側には本丸の石碑や説明板が設置されています。
白井城の説明板は2種類あり、白井城の復元図も掲載されているので分かり易くて良いです。
本丸内部
白井城は吾妻川と利根川の合流地点にある台地先端部に築かれています。
本丸は台地先端部の南側にあり、三角形の形をしていて大きな曲輪となっています。
西側は吾妻川に接した崖、東側には高い土塁が築かれていて、白井城の堅牢さを感じる事が出来ます。
白井城・笹曲輪
本丸の南側には笹曲輪があります。
笹曲輪は本丸より一段下がった場所にある、1辺15m程の小さな曲輪です。
まとめ
【白井城の見どころ】
・本丸北側の本多氏時代に築かれた桝形虎口と野面積みの石垣
・本丸北東側の武田氏時代に築かれた迫力ある三日月堀
・本丸東側に築かれている100mにも及ぶ長大な土塁
ウェブサイト:白井城址|渋川市観光情報
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