埼玉県さいたま市にある岩槻城。
室町時代末期に太田道真、または子の道灌が築城したと云われています。
1522年に太田資頼が岩槻城を奪取すると太田氏の城となりますが、1567年の三舟山合戦で太田氏資が戦死すると北条氏の城となります。
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐の際に浅野長吉の軍に攻められ、降伏落城しました。
徳川家康が江戸に入ると岩槻城は高力清長が城主となり、以後代々譜代大名が城主を務め江戸の北方の守りの要となります。
現在城跡は、岩槻城址公園として整備され新曲輪、鍛冶曲輪があり、県の史跡に指定されています。
また、堀跡の他、岩槻城門と伝わる黒門と裏門が残されていて見どころとなっています。
岩槻城・基本情報、アクセス
所在地:〒339‐0052 埼玉県さいたま市岩槻区太田3丁目
城 主:太田氏、成田氏、渋江氏、北条氏、高力氏、青山氏、阿部氏、板倉氏等
形 式:平城
文化財史跡:県指定史跡、市指定文化財(黒門、裏門)
日本100名城スタンプ:該当なし
岩槻城・御城印

岩槻城 御城印 1枚300円
岩槻城の御城印が販売されています。
岩槻城から西へ700m程の所にある「水野書店」で1枚300円で購入する事が出来ます。
また、「田中屋本店」、「人形の東玉 岩槻総本店」でも購入する事が出来ます。
【水野書店】
所在地:〒339-0057 埼玉県さいたま市岩槻区本町4丁目2-10
営業時間:10:00~20:00
定休日:第2、第4日曜日
TEL:048-756-0112
岩槻城・駐車場

岩槻城跡の岩槻城址公園の西側に「岩槻城址公園 第2駐車場」があります。
150台程停められる無料駐車場で、トイレも完備しています。

岩槻城跡の岩槻城址公園の中ほどに「岩槻城址公園 第1駐車場」があります。
78台程停められる無料駐車場で、トイレも完備しています。
岩槻城・縄張り図

岩槻城は元荒川に面した低湿地帯に築かれた平城です。
沼地の中心部に本丸があり、周囲に二の丸、三の丸、御茶屋曲輪などの主要部が取り囲んでいます。
沼地の北側に新正寺曲輪、南側に新曲輪、鍛冶曲輪が配置され、西側は武家屋敷が立ち並び、城と城下町を囲むように大構えが築かれました。
岩槻城・新曲輪
岩槻城址公園

岩槻城の本丸、二の丸、三の丸等の主要部は住宅地となっていて遺構は残されていません。
現在でも残されているのは新曲輪と鍛冶曲輪となっていて、岩槻城址公園として整備されています。
新曲輪は北条氏が豊臣秀吉との戦いに備えて築いた曲輪で、主郭部の南側の防備を強化しています。
堀障子跡

新曲輪と鍛冶曲輪の間には堀が築かれています。
菖蒲池の近くの堀跡では、発掘調査により堀底に畝を造成した堀障子が確認されています。
3つの堀障子が確認され、畝の高さは90㎝、幅が上部で90㎝、下部が150㎝となっていて畝により敵の移動を制限する事が出来る工夫となっています。
堀障子は山中城、河村城、小田原城などでも確認されていて、北条氏特有の築城技術と云われています。
空堀

新曲輪と鍛冶曲輪の間の空堀が現在でも良好に残されています。
空堀は深さが6~7m、幅は10m程あり、堀底を歩くことで堀の大きさを体感する事が出来ます。
新曲輪と鍛冶曲輪の間の空堀は規模が大きく、折れも設けられていて見どころです。
黒門(市指定文化財)

新曲輪内に黒門があります。
黒門は岩槻城内にあった門と云われ、木材部分が黒く塗られている為、黒門と呼ばれています。
門の両側に小部屋がある長屋門形式で、屋根は寄棟造りの瓦葺きとなっています。
埼玉県庁や県知事公舎などに移築されていて、修理や改修がされていますが、岩槻城の貴重な建築物で見どころとなっています。
裏門(市指定文化財)

新曲輪内の黒門の近くには裏門もあります。
裏門は岩槻城内にあった城門で、1770年に岩槻城主大岡氏の命により建てられ、1823年に修理されたことが分かっています。
本柱と控柱で屋根を支える薬医門形式で、屋根は切妻造りの瓦葺きとなっています。
裏門は黒門と共に岩槻城の貴重な建築物で見どころです。
岩槻城・鍛冶曲輪

新曲輪の東側に鍛冶曲輪があります。
鍛冶曲輪の外側には緩やかに土塁の跡が残っていて、岩槻城の別名白鶴城の石碑が立てられています。
太田道灌が築城する際に、沼に二羽の白鶴が木の枝を水面に落とし舞い降り、竹を束ねて沼を埋めて盛り土をした事に由来しています。
まとめ

【岩槻城の見どころ】
・新曲輪内に移築されている岩槻城の城門と伝わる重厚な外観の黒門
・新曲輪内に移築されている江戸時代に建てられた裏門
・新曲輪と鍛冶曲輪の間に残る大規模で折れを伴う空堀
ウェブサイト:さいたま市/岩槻城跡を探る
コメント