神奈川県三浦市にある三崎城。
三浦半島の先端部に築かれた相模三浦氏の本拠地です。
築城時期は不明ですが、1518年に三浦義同(道寸)が伊勢盛時(北条早雲)に攻められ、新井城と共に落城したと云われています。
北条早雲が改修を行いますが、一時里見氏により攻略されます。その後、北条氏康が奪還すると子の氏規を城主とします。
1590年の豊臣秀吉の小田原征伐後に廃城となります。
現在城跡には、曲輪跡や土塁、空堀などが残され見どころとなっています。
三崎城・基本情報、アクセス
所在地:〒238‐0235 神奈川県三浦市城山町6‐1
城 主:三浦氏、北条氏
形 式:平山城(海城)
文化財史跡:ー
日本100名城スタンプ:該当なし
三崎城・御城印

三崎城 御城印 1枚400円
三崎城の御城印が販売されています。
横須賀市の中心部にある横須賀中央駅横の「横須賀市観光案内所」で1枚400円で購入する事が出来ます。
御城印だけではなくお土産屋、パンフレットも多数置いてあるので、立ち寄りたい場所です。
【横須賀市観光案内所】
三崎城・駐車場

三崎城の専用駐車場はありません。
三崎城本丸横の三浦市役所に駐車場がありますが、来庁者専用となっています。

三崎城跡から南西に500m程の所にある「うらりマルシェ」の有料駐車場があります。
「うらり駐車場」から三崎城跡までは歩いて10~12分程で行くことが出来ます。
【うらりマルシェ駐車場】
料 金:最初の1時間240円 以後30分毎120円
最大料金:入車後 12時間700円
ウェブサイト:三崎マグロ 三浦市の産直品売り場 うらり
三崎城・縄張り図

三崎城は三浦半島の南側先端部の海を望む丘陵地に築かれています。
水軍の拠点として機能し、北西の油壺湾に面した新井城と連携していました。
本丸の前面には桝形状の虎口があり、丘陵地を生かした曲輪の配置や空堀、土塁が築かれています。
三崎城・本丸
石碑

三浦市役所の東側に三崎城の本丸などの主要部があります。
本丸北側には三崎城の石碑と縄張り図付きの説明板が設置されています。
当時はこの説明板の北側には馬出があり、本丸の虎口を守っていました。
本丸内部

本丸跡は大きな広場となっていて、遺構は特に見当たりません。
市役所第二分館(旧三崎中学校)との境界線となっている部分は土塁跡なのかも知れません。
土塁

本丸東側の曲輪(元青少年会館)には土塁が残されています。
土塁の高さは2~3m程で曲輪の外郭を囲むようにL字に折れている様子が分かります。
本丸東側の曲輪の土塁は三崎城の貴重な遺構となっています。
慰霊堂

三崎城の南東側に小さな曲輪跡があります。
現在は慰霊堂が建てられていて、南側を覗くと崖と海を望むことができ、自然の要害となっている事が分かります。
空堀跡

慰霊堂と本丸東側の曲輪の間には空堀が築かれていて、現在でも遺構が残されています。
また、土橋の形状も見る事ができ、当時の縄張りを感じ取ることが出来ます。
絶壁に築かれている慰霊堂の空堀、土橋は良好に残されていて見どころです。
遠景

三崎城の南側から見ると、三崎城の海近くの急峻な崖の上に築かれている様子が分かります。
当時は多数の軍船が停泊し、三浦半島周辺の水軍の拠点として機能していました。
三崎城南側から見た景色は自然の要害、海城として機能していた事が分かり見どころです。
三崎城・光念寺
本堂

現在、三崎城の南西側にある光念寺は、曲輪として利用されていた場所です。
光念寺は1190年に源頼朝に仕えた和田義盛が創建したと伝わる寺院で、阿弥陀仏を御本尊としています。
土塁

光念寺の東側には土塁が残されています。
土塁の高さは3~4m程で本瑞寺の境界線となっています。当時は曲輪と囲むように土塁が築かれていて、三崎城の南東の防備を担っていました。
光念寺東側の土塁は三崎城の貴重な遺構で見どころです。
三崎城・本瑞寺
本堂

光念寺の東隣に本瑞寺があります。
本瑞寺は1190年頃に源頼朝が建てた桜の御所跡に建立された寺院です。
源頼朝はもちろん、二代将軍源頼家と三代将軍源実朝もこの場所に訪れていると伝わっています。
三崎城があった戦国時代には曲輪として機能していました。
堀跡

本瑞寺と本丸の間には空堀跡があります。
現在は道路が通って登り坂となっていますが、当時は三崎城を東西に分かつ大きな空堀が築かれていました。
まとめ

【三崎城の見どころ】
・海城、急峻な崖上に築かれている事が分かる海近くから見る三崎城
・南東側慰霊堂の曲輪跡に良好に残る土橋、空堀
・光念寺東側の高さ3~4m程の貴重な遺構の土塁
ウェブサイト:【観光開設板】三崎城跡/三浦市

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