静岡県浜松市にある頭陀寺城(松下屋敷跡)。
頭陀寺は天竜川下流にあった川匂荘の現地荘官として、四十六所明神とともに荘園の中核となっていました。
当時の境内には今川氏の家臣である松下之綱の屋敷があり、頭陀寺城と呼ばれていました。
1551年から3年間まだ無名の豊臣秀吉が松下之綱に仕えていたと、太閤素生記に記されています。
松下氏は父直親を殺された井伊直政を匿い、松下源太郎清景が直政を養子として今川氏の追ってから守りました。
また、松下之綱の娘は柳生宗矩に嫁ぎ柳生十兵衛を生みました。
1564年に今川氏と飯尾氏との攻防により頭陀寺は炎上しました。
現在城跡には頭陀寺が建立されていて、本堂や山門、頭陀寺にゆかりのあった若き日の徳川家康や豊臣秀吉、井伊直政の像が立てられていて、見どころとなっています。
頭陀寺城・基本情報、アクセス
所在地:〒430‐0817 静岡県浜松市南区頭陀寺町310‐4
城 主:松下氏
形 式:平城
文化財史跡:なし
日本100名城スタンプ:該当なし
頭陀寺城・駐車場
頭陀寺の東側に頭陀寺参拝者用の駐車場があります。
10台ほど止められる大きさの無料駐車用です。
頭陀寺城・頭陀寺
山門
頭陀寺城跡は現在頭陀寺の境内となっています。
頭陀寺の入口には山門があります。薬医門形式の門で大きな屋根が特徴的です。
山門の前には浜松市最古の道標があります。
道標は1711年に建立され、浜松市の地域遺産に認定されています。
三尊仏
山門をくぐると三尊仏が見えます。
左側から弘法大師、水掛一願地蔵尊、浪切不動明王となっています。
本堂
頭陀寺の中心にある建物が本堂です。
御本尊は薬師瑠璃光如来で、本堂内に江戸時代中期に作成されたお薬師様が安置されています。
本堂の右側には徳川家康が寄進した弘法大師像が安置されています。
松下稲荷堂
本堂の裏側に回り込むと松下稲荷堂があります。
松下家の先祖である応神天皇、敦実親王が祀られています。
元々は松下屋敷の北西隅にありましたが、明治時代にこの場所に移されました。
三公像
本堂の裏側には三公像があります。
左から少年時代の豊臣秀吉公、竹千代時代の徳川家康公、松下家の養子となった頃の井伊直政公となっています。
青年期の秀吉公は松下嘉兵衛に仕え、1551年14~16歳の3年間を頭陀寺(松下屋敷)で過ごしました。
頭陀寺は秀吉公が初めて武家に仕えた所であり、ここから織田信長に仕え天下統一へ邁進して行きました。
竹千代と呼ばれていた頃の家康公は中村屋敷から馬に乗って頭陀寺に訪れたと云われています。
1568年に遠江に侵攻した家康公は橋羽村妙恩寺に本陣を置き、安間村から頭陀寺にも陣取りをして、曳馬城を攻め落としました。
曳馬城を浜松城と改名し、居城を岡崎城から移し17年間過ごしました。
井伊直政の母は頭陀寺の松下源太郎清景と再婚し、直政公は松下性を名乗りました。
1575年に直政公は徳川家康に仕え、翌年武田家の忍びに襲された家康公の窮地を救い三千石を与えられ、井伊家を再興しました。
松下屋敷跡
頭陀寺の南側に松下屋敷跡があります。
現在は頭陀寺第一公園となっていて、遺構はほとんどありません。
松下屋敷は戦国時代に松下氏が居を構えた場所で、100m四方の敷地がありました。
発掘調査を2001年と2015年に行い、建物の礎石や庭園、土塁と堀の跡が確認されました。
まとめ
頭陀寺城は頭陀寺の山門、本堂、三公像が見どころです。
豊臣秀吉公、徳川家康公、井伊直政公といずれも有名な人物のゆかりの場所であり、歴史に思いを馳せる事ができます。
頭陀寺ウェブサイト
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