静岡県浜松市にある刑部城(おさかべじょう)。
三方を都田川に囲まれた丘に築城された小城で、今川家の家臣である新田美作入道の居城と云われています。
1513年に斯波氏の家臣である井伊直平が籠城した三岳城を今川氏が攻略する際に利用されました。
1568年徳川家康が今川氏が支配していた遠江に侵攻すると、刑部城周辺の人々が柵を築いて城に立て籠もり、徳川軍と戦いました。
勢いに乗る徳川軍により刑部城は落城し、城主の娘が敵の手にかかることを良しとせず、池に身を投げ金襴の蛇に姿を変えたという伝説が残されています。
1572年には三方ヶ原の戦いに勝利した武田信玄が数日間滞在したとも言われています。
現在城跡には金山神社が建立されており、曲輪跡や堀切が残され見どころとなっています。
刑部城・基本情報、アクセス
所在地:〒431-1304 静岡県浜松市細江町中川5580
城 主:新田美作入道、徳川氏
形 式:平山城
文化財史跡:なし
日本100名城スタンプ:該当なし
刑部城・駐車場
刑部城に駐車場はありません。
刑部城、金山神社の入口に車1台分停められるスペースはあります。
利用する際は自己責任でお願いします。
刑部城・二の曲輪
館跡
金山神社の前には館跡と書かれた看板があります。
主郭、二の曲輪の南側には広くなった場所があり、当時は館があったのかも知れません。
曲輪内部
二の曲輪には金山神社が建立されています。
曲輪の麓からは主郭と二の曲輪の間の堀切と鳥居が見る事ができます。
鳥居をくぐり階段を登ると二の曲輪です。
二の曲輪には金山神社の本殿(拝殿)が建てられています。
田舎に静かに佇む小さな神社と云った印象です。
景色
二の曲輪からは景色を見る事ができます。
刑部城の北側には都田川が流れていて、周囲は平地が広がっています。
当時は姫街道が城の東側を通り、交通の要衝でした。
堀切
主郭と二の曲輪の間には堀切が築かれています。
堀切は深さが5~6m、幅は10m以上はあるかと思われます。
堀切は刑部城の一番良好に残されている遺構なので、見どころです。
二の曲輪から堀切を見下ろすと堀切の大きさが良く分かります。
現在主郭は竹藪となっていて見学する事が困難です。途中まで突入してみましたが断念しました。
また、刑部城の北側には悲劇を伝える金襴の池の説明板、南西側には刑部城の説明板が設置されています。
まとめ
刑部城は主郭と二の曲輪の間の堀切が見どころです。
小さなお城ですがこの場所で戦いが行われ、悲劇の伝説が残されている歴史あるお城です。
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