滋賀県甲賀市にある水口岡山城。
1585年に羽柴秀吉の命により中村一氏が築城し、甲賀郡を支配する為の城郭としました。
(当時は水口城と呼ばれていましたが、江戸時代に築城された水口城と区別する為に、水口岡山城とされています。)
1590年に豊臣五奉行となる増田長盛が、1595年には長束正家が入城します。
1600年の関ヶ原の戦いの時に長束正家は西軍として参加しますが、西軍が負けると水口岡山城に籠城し池田長吉、亀井茲矩らに攻められ降伏、切腹します。
将軍徳川家光の宿泊所として水口城が築かれる事になると、水口岡山城の石垣や部材が使用されます。
現在でも古城山の山頂部に郭跡があり、本丸北側の石垣や堀切、空堀、喰い違い虎口などが残され見どころとなっています。
水口岡山城・基本情報、アクセス
所在地:〒528‐0005 滋賀県甲賀市水口町水口
城 主:中村一氏、増田長盛、長束正家
形 式:山城・連郭式
文化財史跡:国指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
水口岡山城・駐車場
水口岡山城の南西側に「古城山観光駐車場」があります。
6~7台ほど停められる無料駐車場です。トイレは水口岡山城にあります。
水口岡山城・御城印
水口岡山城 御城印(特別版)
水口岡山城の御城印が販売されています。
「甲賀市ひと・まち街道交流館」で1枚300円で購入する事ができます。
【甲賀市ひと・まち街道交流館】
水口岡山城・縄張り図
水口岡山城は水口平野の独立丘陵に築城された山城です。
最高所の中心部に本丸を置き、西側に西の丸、東側に二の丸、三の丸、出丸が一直性に並ぶ連郭式の縄張りとなっています。
城下町、水口宿がある南側を大手としていて、各郭は堀切や空堀で仕切られています。
水口岡山城・登城口
古城山観光駐車場の横に水口岡山城の登城口があります。
登城口には水口岡山城の説明板が設置されています。
ここから本丸までは15~20分程掛かります。
水口岡山城・西の丸
西の丸内部
水口岡山城の西側に西の丸があります。
西の丸には広平地となっていて、本丸の西側の防備を担う重要な郭です。
天翔の櫓(展望台)
西の丸には天翔の櫓が建てられています。
天翔の櫓は展望台で、内部に階段が設置されていてだれでも登ることができます。
景色
天翔の櫓から景色を楽しむ事ができます。
水口の町並みを一望する事ができて、心地よい風が吹きます。
長束正家が敵軍に包囲されたときはどのような心境だったのでしょうか。
塀
西の丸には土塀風の塀が建てられています。
下見板張りには狭間が切ってあって、内側には水口岡山城に関する資料が展示されています。
簡易的なものですが、なかなかお城の雰囲気があって良いです。
水口岡山城・本丸
竪堀
本丸と西の丸の間には竪堀が築かれています。
竪堀と云うよりは堀切のような印象を受けますが、深さは5~6m、幅は10m程はあるかと思われ、良好に残されています。
石垣
本丸の北側斜面(上段と下段)には石垣が残されています。
下段の石垣は高さが2~3m程あり、当時は5m程の高さがあったと考えられています。
長束正家が敗れ水口岡山城は廃城となり、水口城を築く際に石材も利用されたと云われているので、これだけ残っている石垣は貴重で見どころです。
上段の石垣はわずかに残されているのみとなっていますが、当時は高さが8mもあったと考えられています。
石垣は花崗岩やチャートが主に使用されていますが、五輪塔などの転用石も使用されていて、石材を集めるのに苦心した事が伺えます。
櫓跡
本丸の西側には櫓跡があります。
櫓跡は1m程の土壇があり、発掘調査により五輪塔の石材を使用した石段が見つかっています。
この場所に天守が建てられていたとも考えられてます。
本丸内部
本丸は水口岡山城で最も高い場所にあり、東西に細長い曲輪となっています。
説明板には縄張り図が付いているので分かり易くて良いです。
本丸には北側の石垣が残っていますが、発掘調査により南面にも石垣の痕跡が見つかっており当時は全周に石垣が築かれていたと考えられています。
天守跡
本丸の東側には天守跡があります。
発掘調査により2段のL字に折れ曲がる石垣が見つかっていて、当時は天守が建てられていたと考えられています。
本丸の東西に重層の櫓が建てられていたとは、凄い城郭だったんだろうなと想像を掻き立てます。
喰い違い虎口
本丸の北東には喰い違い虎口が残されています。
喰い違い虎口は土塁で互い違いにして真っすぐ進めないようにしている虎口で、敵が侵入し辛いように工夫されています。
喰い違い虎口の近くには石垣が残されています。
良好に残された喰い違い虎口と一部ですが石垣がある光景は見ごたえがあり、見どころです。
桝形虎口
本丸の南側にある大手道には桝形虎口跡があります。
桝形虎口は土塁で桝形がの空間が築かれていて、登って来る側からだと右に折れるようになっています。
大手道とだけあって横矢が掛けられる厳重な桝形虎口が築かれている様子は、威圧感があります。
水口岡山城・二の丸
空堀
本丸と二の丸の間には空堀が築かれています。
空堀は深さが5~6m、幅は15m以上、長さは30m程はあるかと思われ大規模な遺構となっています。
空堀は大きく迫力があり、見どころです。
二の丸内部
本丸の東側に二の丸があります。
二の丸は西の丸と同等の広さの曲輪で、本丸に隣接する重要な郭です。
水口岡山城・三の丸
堀切
二の丸と三の丸の間には堀切が築かれています。
堀切は深さが3~4m、幅は8~9m程はあるかと思われ良好に残されています。
縄張り図を見ると堀切の北側は麓まで続く竪堀となっています。
三の丸内部
二の丸の東側に三の丸があります。
三の丸は二の丸と同等規模の広さの郭となっています。
南面の中央部には謎の窪地があります。
水口岡山城・出丸
三の丸の一段下がった東側に出丸があります。
三の丸と出丸の間には堀切の跡がうっすらと残されていて、北側は竪堀となっています。
まとめ
水口岡山城は本丸北側の石垣や喰い違い虎口、本丸と二の丸の間の空堀などが見どころです。
豊臣五奉行の内の二人が城主となり戦いの舞台にもなった歴史ある城郭はロマンがあり、遺構も良好に残されているので、良いお城です。
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