京都府京都市右京区にある大覚寺(旧嵯峨御所 大本山大覚寺)。
平安時代初期に嵯峨天皇が嵯峨野の北東に離宮を建立されました。
嵯峨天皇が崩御し、876年に皇女 正子内親王が離宮を寺に改めたのが大覚寺の始まりです。
1308年、後宇多法王は伽藍の整備に力を尽くし、中興の祖と称されここで院政を行った為、嵯峨御所とも呼ばれるようになります。
1468年に応仁の乱によりほとんどの堂宇が焼失してしまいます。
1589年に空性が門跡になると復興に取り掛かり、寛永年間(1624~1644年)にはほぼ寺院が整えられました。
現在では国の史跡に指定され、江戸時代に建立された宸殿や江戸時代中期に建立された五大堂(本堂)、嘉永年間に再建された勅使門などが現存し、見どころとなっています。
また、大覚寺に隣接する大沢池は平安時代に嵯峨天皇が造営した、日本最古の林泉庭園が残され見どころです。
大覚寺・基本情報、アクセス
大覚寺・駐車場
大覚寺の南側に「大覚寺参拝者用駐車場」があります。
30台停められる広さの駐車場で、2時間500円となっています。
トイレは駐車場や境内にあります。
大覚寺・境内
式台玄関
表門の先に式台玄関があります。
式台玄関は江戸時代初めに御所より移築されたもので、屋根の色が青緑色になっているのが特徴的で、銅板葺きなのかも知れません。
受付の先の松の間には後宇多法王が使用いた御輿と、狩野永徳が描いた鮮やかな障壁画「松に山鳥図」があり、いきなり圧倒されます。
宸殿(重要文化財)
玄関の先には宸殿があります。
宸殿は江戸時代に御水尾天皇より下賜された建物で、徳川2代将軍秀忠の娘、東福門院和子が使用していました。
宸殿前の庭には右近の橘、左近の梅が植えられています。
宸殿は入母屋造りで屋根は檜皮葺き、周囲には廻縁が設けられています。
宸殿の正面には寝殿造りの特徴である蔀戸があり、蝉の装飾が施されています。
宸殿は江戸時代の貴重な建築物で格式高く、壮観で見どころです。
内部は33畳の「牡丹の間」、18畳の「柳松の間」、22畳の「紅梅の間」、12畳の「鶴の間」があり、狩野山楽が描いた襖絵を見る事ができます。
どの襖絵も壮麗で引き込まれる魅力があり、見どころです。
正寝殿(重要文化財)
正寝殿は桃山時代に建築された、入母屋造りの檜皮葺き屋根の書院建築物です。
内部には「御冠の間」があり、玉座が設けられていて後宇多法王が院政を行った場所が再現されています。
また、南北朝の講和会議が行われたと云われています。
心経前殿(御影堂)
心経前殿は1925年に建築され、大正天皇の即位式に使用された饗応殿で、式後に下賜されました。
内部には嵯峨天皇、弘法大師、後宇多法王、恒寂入道親王の像が安置されています。
勅使門
勅使門は嘉永年間(1848~1854年)に再建された四脚門です。
屋根は切妻造り、正面と背面には軒唐破風が付属されていて、鍍金により装飾されています。
勅使のご来山や特別な時のみに開かれる勅使門は、荘厳であり重厚で見どころです。
安井堂と五大堂(本殿)
安井堂は京都東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂を1871年に移築されたもので、堂内の天井には花鳥や雲龍が描かれています。
五大堂は江戸時代中期の創建で、現在の大覚寺の本堂です。
不動明王や五大明王が祀られていて、写経や写仏ができる場所が設けられています。
大沢池・園内
大沢池
大覚寺の東側には大沢池があります。
平安時代初期に嵯峨天皇が離宮を造営する際に造られた人工の池です。
池の周囲にはお堂や小倉百人一首で歌われている「名古曽の滝跡」などがあります。
心経宝塔
大沢池のほとりには心経宝塔があります。
1967年に嵯峨天皇心経写経、1150年を記念して建てられました。
畔に佇む朱塗りの宝塔は青空に映えて綺麗で、一際目を惹きます。
まとめ
大覚寺は寝殿造りの襖絵が美しい宸殿や金の装飾が施された軒唐破風が荘厳な勅使門、平安時代の林泉庭園を現代に伝える大沢池が見どころです。
京都の有名な寺院よりも人が少なくゆっくりと見学できるので、オススメです。
ウェブサイト:旧嵯峨御所 大覚寺
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