神奈川県綾瀬市にある早川城。
鎌倉時代の御家人である渋谷氏により築城されたと云われています。
1159年に平治合戦に敗れた源氏の重臣である佐々木秀義を、渋谷重国が保護したと「吾妻鑑」に書かれています。
鎌倉時代になると渋谷重国は源頼朝の御家人となり、子の高重が後を継ぎました。
渋谷高重は早川次郎と名乗り、早川一帯に勢力を誇りました。
1213年の和田合戦では和田義盛に味方した為、討たれてしまいます。
しかし、早川氏は1247年の宝治合戦で功を上げ、薩摩国入来院に所領を与えられました。
現在は城山公園として整備され、堀切や土塁、物見塚などが残され見どころとなっています。
早川城・基本情報、アクセス
所在地:〒252‐1127 神奈川県綾瀬市早川3丁目4‐964
城 主:渋谷氏、早川氏
形 式:平山城
文化財史跡:県指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
早川城・駐車場
早川城(城山公園)の北側に「城山公園駐車場」があります。
45台程停められる広さの無料駐車場です。トイレは公園内にあります。
早川城・本郭
城山公園入口
城山公園の入口には古代の城山の説明板が設置されています。
古墳時代の終わり頃から奈良、平安時代にかけて早川城周辺にはムラが造られました。
市立城山中学校から早川城の台地上には発掘調査により、100軒以上の竪穴式住居跡が確認されました。
堀切
本郭の北側には土橋と堀切が残されています。
土橋は真っすぐ延びていてアスファルトで舗装されています。
土橋両側の堀切は深さが5m、幅が11m程あり、現在でも良好に残されています。
堀切は土橋の両側に残されていて、土橋から見下ろすと大きさが実感できます。
早川城は東西と南側は急峻な崖となっている為、平地が続く北側に堀切を築き堅固な城としています。
本郭北側の堀切は早川城で最も良好に残されている遺構で、見どころです。
土塁
本郭北側には土塁が残されています。
土塁は堀切の掘った土を盛る事で造られた防御機構で、現在も高さが2m程あります。
本郭北側の土塁も堀切と合わせて良好に残されていて見どころです。
物見塚
本郭は現在でも広大な平地となっていて、桜の広場として市民に親しまれています。
本郭の西側には物見塚と呼ばれる高さ2mの土の高まりがあります。
物見塚は土塁と同じ版築で造られていて、敵の侵入を見張る場所であったと考えられています。
南北21m、東西23m、高さ2mの物見塚は早川城の貴重な城郭遺構で見どころです。
早川城・腰郭
郭内部
本郭の南側には腰郭があります。
早川城の西側は緩やかな斜面となっていて、腰郭や竪堀を築く事で防御力を高めています。
腰郭からは柱穴が確認されていて、当時は小規模な建物があったと考えられています。
日本庭園
本郭の南西側には日本庭園があります。
日本庭園は現代に造られたもので、大きな池や四阿、門などがあり、落ち着いた雰囲気となっています。
本郭の北西側にある腰郭では発掘調査により柱穴列が発見され、見張り小屋の機能を持った建物があったと推定されています。
花木園
本郭の南東側には花木園があります。
花木園にはバラなどの花々が植えられていて、シーズンにはたくさんの花が楽しむ事が出来ると思われます。
まとめ
【早川城の見どころ】
・本郭北側の深さ5m、幅11mの大規模な堀切
・本郭北側の堀切に接した高さ2m程の土塁
・本郭西側に残る南北21m、東西23m、高さ2mの物見塚
ウェブサイト:県指定史跡 早川城跡(城山公園)
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