岐阜県飛騨市にある高原諏訪城。
室町時代に江馬時盛、時経が築城したと云われ、北飛騨高原郷を拠点として江馬氏の居城です。
1582年に江馬輝盛は八日町合戦で三木氏と戦い敗れ、討ち死にしてしまいます。
その後、高原諏訪城は三木方の小島時光により攻められ、落城します。
江馬氏はしばらく活動しますが、1585年に金森氏が飛騨に入ると滅亡します。
現在でも主郭跡や堀切が残され見どころとなっています。
また、主郭からは眼下に江馬氏館を一望する事ができ、こちらも見どころとなっています。
高原諏訪城・基本情報、アクセス
所在地:〒506‐1121 岐阜県飛騨市神岡町和佐保
城 主:江馬氏
形 式:山城
文化財史跡:国指定史跡(江馬氏城館跡のひとつ)
日本100名城スタンプ:該当なし
高原諏訪城・駐車場
高原諏訪城に専用駐車場はありません。
登城口の横の路肩に車1台分が停められるスペースはあります。止める際は自己責任でお願いします。
時間はかかりますが、「道の駅 スカイドーム神岡」の駐車場に停めて、麓の円城寺まで歩いて行けば登城道があるようです。
高原諏訪城・縄張り図
高原諏訪城は下館の背後の標高622mの山上に築かれた山城です。
一本松と呼ばれる主郭を中心として、周りに帯曲輪が築かれています。
北尾根や南尾根には堀切で遮断された曲輪群が連なる、連郭式の縄張りとなっています。
高原諏訪城・登城口
高原諏訪城の北側の山の中腹に登城口があります。
登城口から主郭までは歩いて10~15分程掛かります。
登城道は比較的整備されている方ですが、夏場は草がボゥボゥになっていると思われるので、草が枯れている季節に訪れると良いと思います。
高原諏訪城・北尾根
二重堀切
登城口を進むと二重堀切があります。
連続で堀切が築かれていてそれぞれ深さは2m、幅は2~3m程となっています。
二重で堀切が築かれているのは珍しく、見どころです。
二重堀切は背後の尾根から敵が伝って来るのを防ぐ為に築かれていて、築城者の意図が伝わって来ます。
登城口直ぐの所にあるのでいきなり見どころで、驚きです。
堀切
更に登城口を進んで行くと大きな堀切が見えて来ます。
堀切は深さが7~8m、幅は10m以上はあり規模が大きく迫力があります。
北側の尾根の堀切は良好に残されていて見どころです。
堀切の両端は斜面を落ちて行き竪堀となっています。
斜面に堀を築く事で敵が斜面を伝って主郭に行くことを防ぎます。
竪堀
堀切の先には竪堀が築かれています。
竪堀は深さが1m程ですが、斜面を伝って行って登城道の越えて落ちて行っています。
当時はこの道はなかったと思われますが、主郭に迫る敵の移動を制限しています。
高原諏訪城・帯曲輪
主郭の外周部には帯曲輪が築かれています。
帯曲輪は細長い曲輪で、主郭をぐるっと一周取り巻いていて、敵の襲来に備えています。
高原諏訪城・主郭
曲輪内部
高原諏訪城の中心に主郭があります。
主郭は南北40m、東西25m程の長方形の形をしていて、四阿や高原諏訪城の縄張り図付きの説明板が設置されています。
また、主郭には高原諏訪城の石碑が立てられています。
石碑には「江馬候城趾」と書かれていて江馬氏の居城であった事が分かります。
景色
主郭からは下館(江馬氏館)が一望する事ができます。
江馬氏館は江馬氏が平時に過ごした場所で、現在は発掘調査に基づき会所や主門、土塀が復元されています。
飛騨に広がる山々に囲まれた江馬氏館は壮観で、見どころです。
高原諏訪城・南尾根
堀切
南側の尾根にも堀切が築かれています。
堀切は深さが6~7m、幅は10m以上はあるかと思われ規模が大きいものとなっています。
堀切の堀底は北側よりも鋭くなっていて、容易に登ることができないようになっています。
草が多いのでここは夏場に訪れるのは厳しいかと思います。
まとめ
高原諏訪城は北尾根の二重堀切、大きな堀切、主郭から望む江馬氏館が見どころです。
北飛騨を支配した江馬氏の居城だけあって、遺構が良好に残されていて江馬氏館とセットで訪れるのが良いです。
高原諏訪城ウェブサイト:飛騨の旅 飛騨市公式観光サイト
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