大多喜城のアクセスや見どころ(天守閣、薬医門など)を紹介!

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お城

千葉県夷隅郡の大多喜城です。

室町時代に真里谷信清が小田喜城を築いた事に始まります。

戦国時代に徳川家康の家臣で、徳川四天王と呼ばれる猛将本多忠勝が家康の関東移封に伴い、小田喜城の跡地に大多喜城を築きました。

大多喜城は夷隅川北側の段丘地に築かれ、さらに大多喜城の北側には水堀を築き、曲輪を配した堅固なお城です。

現在では、本丸跡に外観が天守閣の千葉県立中央博物館大多喜城分館が建てられています。

また、本丸下段には、大多喜城唯一の現存建築物の薬医門が残されています。

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大多喜城・基本情報、アクセス

所在地:〒298‐0126 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481

城 主:本多氏、松平氏

形 式:平山城

文化財史跡:県指定史跡

続日本100名城スタンプ場所:千葉県立中央博物館大多喜城分館一階

大多喜城・駐車場

大多喜城の西側に、大多喜町町営駐車場があります。

有料ですが、60台程駐められる駐車場です。

大多喜城・登城口

登城道

登城道の街灯と紅葉

駐車場から天守閣までは、山道を歩いて行きます。

坂道ですが、車も通行できる大きな道なので、比較的歩きやすいです。

道の途中には本多氏の家紋立葵の街灯や紅葉があり、風情があります。

大多喜水道

水源を確保した大多喜水道

駐車場の近くには、大多喜水道の跡があります。

大多喜水道は、大多喜城主の松平正質が、水不足に困っていた城下町の為に築いた水道です。

1869年に工事を開始して、翌年に完成しました。

城下の二百戸の水源が確保され、三千ヘクタールの水田も潤いました。

大多喜城・本丸

天守閣(千葉県立中央博物館大多喜城分館)

天守閣(千葉県立中央博物館大多喜城分館)

山道を登った先には天守閣があります。

外観は天守閣ですが、内部は千葉県立中央博物館大多喜城分館という博物館です。

本多忠勝が築城した大多喜城の事や、房総の歴史に関する展示がされています。

当時の天守は、1843年に焼失してしまいました。

三重の天守閣に付属する多聞櫓が特徴的ですね。

【天守閣・千葉県立中央博物館大多喜城分館】

所在地:〒298‐0216 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481

開館時間:9:00~16:30

入場料:一般200円・高大学生100円・小中学生、65歳以上無料

休館日:月曜日・12月26日~1月4日

ウェブサイト:http://www2.chiba-muse.or.jp/SONAN/index.html

天守閣(千葉県立中央博物館大多喜城分館)

大多喜城を築城した本多忠勝といえば、徳川四天王の一人に数えられ、57度戦いかすり傷一つ負わなかったといわれ、戦国最強の武将として有名です。

そんな猛将が築いた大多喜城は、夷隅川を天然の堀として、丘陵部に各曲輪を配し、防備の手薄な麓には水堀を築き城を囲みました。

1609年に、スペインのドン・ロドリゴが乗っていたドン・フランシスコ号が難破しました。

大多喜で保護されたドン・ロドリゴが大多喜城を見て、日本見聞録に壮麗なお城だと書かれました。

築城技術も持っていた本多忠勝には驚かせられます。

大多喜城・二の丸

大井戸

大井戸(千葉県指定史跡)

本丸から一段下がった場所には、大井戸があります。

本多忠勝が城主だったときに掘られた井戸で、周囲が17m、深さが20mもあります。

水が尽きることが無く、底知らずの井戸と呼ばれていました。

薬医門(千葉県指定有形文化財)

大多喜城の貴重な現存建築物である薬医門(千葉県指定有形文化財)

大井戸の近くの大多喜高等学校には、薬医門があります。

薬医門は、大多喜城の唯一の現存の建築物で、二の丸御殿の裏門として築かれました。

鏡柱と控柱で大きな屋根を支えている薬医門形式で、冠木と屋根の間の柱が綺麗に彫刻されているのが特徴的です。

当時の貴重な城郭建造物ですね。

まとめ

麓から見る天守閣

大多喜城は、猛将本多忠勝の築城技術を見ることができるお城です。

当時の建築物は薬医門しかありませんが、外観が天守閣の博物館では、武具や鎧が展示され当時の雰囲気を感じる事ができます。

大多喜城ウェブサイト

 http://www2.chiba-muse.or.jp/SONAN/index.html

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